移籍とはタイミングや巡り合わせ

松原良香Vol.11
スポーツコミュニケーションズ, 田崎健太

日本復帰でゾノとのプレー

契約終了後、松原は日本に帰国している。そして、躯を軽く動かすために、前園真聖と一緒に、J2に降格した湘南ベルマーレの練習に参加することにした。
 
前園もまた世界を彷徨っていた。98年10月、東京ヴェルディ1969からブラジルのサントスFCへ3カ月のレンタル移籍。レンタル期間終了後は、同じブラジルのゴイアスECでもプレーした。その後、ポルトガルやギリシアのクラブで練習に参加したが、契約には至らなかった。そこで湘南は前園の獲得に興味を示していたのだ。
 
気心の知れた前園とのプレーは松原にとって楽しいものだった。湘南の監督だった加藤久は2人のプレーを見て、一緒に加入しないかと誘った。スイスリーグ2部のクラブからオファーをもらっていた。欧州のクラブで引き続き力を試してみたいという気持ちはあった。
 
ただし――。
 
リエカ以降、練習やテストに参加するための移動費、滞在費は松原が立て替えていた。代理人は「後から払う」と言っていたが、その約束は守られなかった。
 
加えて、欧州での生活に松原は精神的に疲れていた。何より、前園ともう一度プレー出来ることは魅力だった。そこで松原は湘南と1年契約を結ぶことにした。
「これで俺の力を見せる時が来たぞと。ゾノもいるし、良いボールが来るだろう、ゴールも決められると思いましたよ」
 
2000年シーズン、湘南のユニフォームの背中には「Nakata.net」という文字が入っていた。
 
この年1月、中田は約17億円の移籍金でペルージャからローマに移籍していた。自らのインターネットサイトがスポンサーになるという形で、中田はかつての所属クラブに5000万円を出資したのだ。このシーズン、松原は40試合出場で13得点という好成績を残し、湘南の年間MVPに選ばれている。シーズン中にJ1のクラブから獲得の打診があったことを後から知った。どうして自分に伝えてくれなかったのだと悔しい思いをしたという。
 
シーズン後、今度はアルゼンチンに渡り、アルヘンティーノス・ジュニアーズのテストを受けている。
 
アルヘンティーノスは1904年創立、首都ブエノスアイレスを本拠地とするクラブである。マラドーナが所属したクラブとしても知られている。元アルゼンチン代表のファン・ロマン・リケルメなども下部組織出身である。
 
このときアルヘンティーノスの監督を務めていたのがセルヒオ・バティスタだった。バティスタもかつてアルヘンティーノスでプレーし、85年にはリベルタドーレス杯を獲得している。後に2008年北京五輪、アルゼンチン代表監督として金メダルを獲得した。
 
松原はバティスタの自宅に泊まり練習参加、その後はチームの合宿にも加わった。クラブは松原との契約を望んだが、条件的には日本のクラブと比べると半分以下の金額だった。加えてアルゼンチンの経済状態はどん底にあり、その金額でさえもきちんと支払われるかどうか分からない。
 
松原は悩んだ末、アルゼンチンを引き揚げ、J1のアビスパ福岡に2001年シーズン途中加入することにした。

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田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日、京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、 小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て 99年に退社。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克、英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)など。14年に上梓した『球童 伊良部秀輝伝』(講談社)でミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。7月に新作『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)が発売。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。