中東で民主主義が定着しない「本当の理由」~イスラームをめぐる2つの問題について

末近 浩太 プロフィール

「凡庸」な中東の独裁体制

だとすれば、いまだに中東で民主化が進まない「本当の原因」は何なのだろうか。

それは、イスラームという「文化」のみに還元されるべきではなく、他の地域や諸国のケースと同じように、安易な一般化や単純化を慎みながら、中東各国のケースについて個別に分析されなくてはならない。その際、比較政治学の民主化や権威主義体制をめぐる一般理論を参照することは有益である(筆者の近刊共著『比較政治学の考え方(ストゥディア)』有斐閣, 2016年を参照されたい)。

「民主化の停滞」を「独裁者のしぶとさ」と言い換えてみれば、それは、独裁者が国民の不満を解消するためにばらまきを行う豊富な資源を持っているといった構造的要因、大統領、与野党、軍、社会運動、外国政府などの動向や相互関係といったアクター的要因、さらには、独裁体制におけるエリートへの権力の集中や潜在的挑戦者の懐柔を担保してきた制度的要因など、さまざまな着目点からの説明が可能である。

重要な点は、これらの説明が独裁体制一般に当てはまることである。このことは、中東諸国の独裁体制が他地域のそれと大きく違わない、いわば「凡庸」なものであることを示している。そのため、中東の民主化が停滞している原因を「独裁者のしぶとさ」と見なすならば、イスラームという「文化」はそれと何の関わりもないことがわかる。

ところが、である。少しややこしい話になるが、民主化を独裁者の退場だけではなく、その後も含めたもう少し長いスパンで捉えた場合、中東では「イスラーム」が「問題」になってきたことも事実である。その「問題」は、「イスラームそのものの問題」と「イスラームに対する問題」に大別できる。どういうことか。

自由主義と世俗主義との軋轢

前者の「イスラームそのものの問題」から見ていこう。

イスラームと民主主義との関係は、選挙に代表される政治参加の段階ではなく、その後に必ず訪れる立法や行政における段階で問題となり得る。

なぜならば、現代世界における民主主義は、基本的には宗教の違いによって個人の自由や権利が制限されたりしてはならない、という自由主義(リベラリズム)に立脚しており、その根底には政教分離を是とする世俗主義を置いているからである。

イスラームという宗教には独自の政治に関する理念がある。ある人がイスラームを信じるということは、神からの啓示である聖典クルアーン(コーラン)の教えを信じることである。

クルアーンには、信仰や儀礼だけではなく、政治や社会のあるべき姿も記されている。ムスリムである以上、クルアーンの教えを信じるが、そのなかの政治についての箇所だけは信じない、という姿勢は成立しない。

現実の政治にイスラームの教えを何らかのかたちで反映させなければならない、という立場は、自由主義や世俗主義に抵触する可能性がある。こうした立場は、特にイスラーム主義者に顕著に見られる。

たとえば、2011年の「アラブの春」後に実施された選挙を通して政権の座に着いたエジプトの自由公正党(イスラーム主義組織のムスリム同胞団系)が、新憲法制定や司法改革にイスラーム的価値観に持ち込もうとし、コプト教徒(キリスト教の一派)だけでなく、リベラル派や左派からの激しい反発を招いた(そして、2013年7月には軍部のクーデタを招くこととなった)。