ブーム再来の兆し 「K-1」を背負う格闘技界の新星が登場!~高校中退、タイでの修行…すべてを明かす

岡田 真理 プロフィール

K-1甲子園に出るために、高校に再入学

17歳になると、アルバイトで1年半かけて貯めたお金を元手に、単身タイに向かうことを決意する。当時、魔裟斗や山本”KID”徳郁など、トップファイターたちは皆タイでトレーニングを積んでいたからだ。最終的に少しだけ資金が足りず、大事にしていたバイクも売った。目指す舞台は、当時テレビ放送されていた「K‐1甲子園」。同世代の戦いを見て、絶対に勝てると確信を持っていた。

「大晦日のダイナマイトでも高校生が出ていたので、自分もそこに出て勝って有名になりたかったんです。アマチュアの大会では結構勝てていたし、行けるんじゃないかなと。でも、K‐1甲子園の出場資格が『現役高校生であること』だったんです。僕はその頃高校に通っていなかったので、通信制の高校に入り直しました」

K‐1甲子園のチャンピオンベルトの写真を大きくプリントし、部屋の壁に掲げてイメージを膨らませた。しかし、2009年のK‐1甲子園第3回大会で初出場を果たすも、結果は関西地区予選の2回戦で敗退。全国大会に出ることすらできなかった。

「悔しすぎて、泣くだけじゃ収まらなくて、本部席にいる前田(憲作)会長(K‐1甲子園プロデューサー・当時)のところに行って、『僕こんな弱くないんで。もっと強くなりたいです』って泣きながら訴えたんです。そしたら、前田会長が『うちのジム(チームドラゴン)に来たら強くなるよ』って」

上京する資金を貯めるため、学校のない週末にコンビニとファーストフード店でアルバイトを掛け持ちした。高校の卒業が近づいたある日、チームドラゴンに電話をかけて「武尊です」と名乗ると、前田氏は「あ、あの時の武尊君ね。待っているよ」と声を掛けてくれた。一度会っただけの名もない敗戦選手を覚えていてくれたことに、思わず胸が熱くなった。

「前田会長の声を聞いて、絶対にチームドラゴンでお世話になろうと思いました。卒業の次の週には上京して、東京での生活をスタートさせました」

チームドラゴンには、格闘技のトップステージを目指してレベルの高いファイターたちが全国から集まってくる。地方のアマチュア大会で14戦負けなしだった武尊は、東京でも通用するだろうと自信を持って練習に参加したが、さっそく初日から鼻をへし折られることになった。

「ボコボコにされて、顔中血だらけになって。それでも、ちゃんと立ってましたね。心は折れませんでした。メンタルは子供の頃の空手で相当鍛えられてますから(笑)」

上京してからは、格闘技イベントを生観戦する機会も増えた。テレビでたくさん見てきた、あの光線の交差。自分もはやくプロのリングに立ちたい。床での試合ではなく、高いリングに上がりたい。はやる気持ちはなかなか抑えられなかった。

「アマチュアの大会でも試合中に狙ってパフォーマンスをしていました。目立ったことをすれば、誰かの目に留まるかなと思って。新空手の大会にはいつも宮田(充)さん(Krushプロデューサー)が来ていたので、優勝した時にはトロフィーを持っていって『Krushに出させてください』と直談判しました」

プロデビューは2011年、そのKrushの舞台だった。普段は強気の武尊も、この時ばかりは「緊張を押し殺すことができなかったです」と言うが、最後はKOで見事な勝利。これがずっとやりたかったことだと、観客が湧く姿を見て確信した。

「アマチュアの大会は家族や関係者しか見に来ないけど、プロの試合はみんなお金を払って見に来てる。オープニングファイトだったからそこまで注目されていなかったけど、自分的には超満員の観客が俺を見てるんだって感覚でした。何か目立つことをやりたいと思って、KOしたらコーナーからバック宙しようって決めてたんです。そしたら、また会場がわぁっとなって。もう、あの快感はやめられない。すぐにでもまた試合に出たいと思いました」

関連記事

おすすめの記事