ゼロからわかる「奨学金問題」~負担すべきは、国か、親か、本人か

対立する“3つの教育観”
小林 雅之

これに対して、給付型奨学金は、貧困の連鎖を打ち切るための福祉政策であるという考え方は、福祉国家主義の教育観である。ここでは、教育機会の均等のため、経済的な理由で進学できない個人や家族に対して、支援を行う福祉的な施策として給付型奨学金が位置づけられる。

しかし、最近では、アメリカの影響を受けて、伝統的な家族主義に対して、個人主義的な教育観がかなり主張されるようになった。この考え方では、奨学金は現行のようなローンで十分であり、給付型奨学金は必要がない、あるいはきわめて限定的なものに留めるべきだということになる。

さらに、限定の方向は、メリットベース(スポーツや学業などの優秀者)を対象とするべきであり、福祉的なニードベース(経済的必要度)に応じたものは、極力少数に留めるべきだと考えられる。

個人主義の場合には、経済的な理由で進学できない個人や家族に対して、支援を行うという点では福祉国家主義と同じであるが、あくまでフェアな競争という考え方による。

つまり、進学のための競争や卒業までの学習にハンディキャップを負うことは、フェアな競争ではない。学費や生活費の調達のためにアルバイトなどを過多にしなければならないとしたら、ハンディキャップを負うことになるからだ。

したがって、その場合に経済的な支援を通じてハンディキャップを解消することは重要だが、給付である必要はなく、ローンで十分ということになる。これが、日本の公的奨学金がローンであり続けている背景にあるもうひとつの考え方だと思われる。

しかし、ローンに依存することは、卒業後のローン負担や回避という問題を生じさせる。

重いローンの返済を避けるために、ローンを回避して、進学先をたとえば、生活費のかからない自宅からにする、あるいは、4年制大学ではなく、2年制の短期大学や専門学校に進学するというような進路選択をする、ひいては進学そのものを断念することが、各国でみられるようになり、大きな問題となっている。

所得の低い人ほど、ローン回避する傾向がある。私たちの調査でも図5のように、低所得層ほど「将来の返済の負担を恐れてローンを借りたくない」というローン回避傾向があることが明らかにされている。

また、私たちの調査による推計では、毎年、高卒後進学しなかった者のうち、約6~7万人は「給付型奨学金があれば進学したい」としている。こうした者は、進学を断念することにより、結果として十分な所得が得られないことになる可能性が高い。

図5:所得階層別ローンを借りない理由(高校生保護者調査2012)