ゼロからわかる「奨学金問題」~負担すべきは、国か、親か、本人か

対立する“3つの教育観”
小林 雅之

公的負担から私的負担、親負担から子負担へ

もちろんこれらは理念的な捉え方で、現実には各国ともこの3つの負担方法が混在している。特に最近では、公的負担から私的負担、親負担から子負担へと移行している傾向にある。

この背景には、福祉国家主義を貫く北欧諸国などを除けば、大学進学者が増加するのに対して、いずれの国も公財政が逼迫しており、教育費の公的負担が難しくなっているという事情がある。

このため、私的負担を求める国が多くなっている。しかし、授業料を高額にして、家計負担を重くすることは、教育機会に悪影響を与える恐れが強い。

つまり、ただでさえ無理して教育費を捻出して我が子を進学させている低所得層にとって、これ以上の負担は難しい。

図3のように、家計可処分所得に対する授業料の比率は、国立大学・私立大学とも増加傾向にあり、これ以上の負担を家計、とりわけ低所得層に求めるのは難しくなっている。これに対して、ローンやアルバイトで教育費をまかない、卒業後にローンを返済するという自己負担を採用する国が増えてきたのである。

図3: 家計可処分所得に対する授業料の比率の推移

現在の給付型奨学金に対する立場は、家族主義+個人主義+福祉国家主義の3つの教育観が混合したものである。ただ、その比重が異なる。伝統的には、家族主義であることは共通しているが、それに対して、福祉国家主義の方向に向かうのか、それとも個人主義(自己責任)かで大きく分かれているようだ。

日本では、伝統的に家族主義の教育観が強いため、教育費も親が負担するのが当然であるという考え方が続いてきた。

図4のように、高等教育費の家計負担割合は、チリに次いで2番目に高い。このことが、裏を返せば、教育費を公的に負担することはないという考え方に結びついている。

図4:高等教育費に占める家計負担の割合(OECD Education at Glance 2015)

特にすべての者が進学するわけではない大学の教育費については、私的に負担すべきだという考え方が強くなることになる。このため、これまで公的給付型奨学金の創設が見送られてきたということがあると思われる。