ゼロからわかる「奨学金問題」~負担すべきは、国か、親か、本人か

対立する“3つの教育観”
小林 雅之
図1:GDPに占める高等教育の負担割合(OECD Education at Glance 2015)

現状では図1のように、GDPに対する高等教育費の公的支出の割合で、OECD諸国の中でも日本は最低水準にある。これまではこのことが高等教育費の公財政支出を求める根拠とされてきた。

しかしこれだけでは論拠として十分ではない。日本の公財政の負債は、GDPの2倍を超え、主要国の中でも最悪である。こうした状況の中で、単に高等教育費の増加を主張しても、財政当局からは「無い袖はふれない」という回答しか返ってこない。さらに、国民は高等教育費の公財政負担を求めていないという主張がつけ加えられる。

3つの教育負担と教育観

国際的に見ると、教育費の負担については、図2のように、先に見た3つの考え方があり、それは教育観の相違が背景にある。

図2:3つの教育観と高等教育費の負担割合

第1に、教育費の「公的負担」は、「教育は社会が支える」という教育観に根ざしている。これを教育費負担の「福祉国家主義」と呼ぶこともできよう。スウェーデンなどの北欧諸国で広く見られる考え方である。

第2に、「学生本人負担」は、教育は個人のためであるという教育観が背景にある。これは、教育費負担の「個人主義」と呼ぶことができる。アメリカやイギリスやオーストラリアなどアングロ・サクソン諸国で広く見られる教育観である。

これは、自己責任という考え方であり、教育は個人の責任であるから、教育費は学生本人が負担することになる。といっても学生本人はほとんど稼得力はないから、在学中はアルバイトや貸与(ローン)で学費や生活費をまかない、卒業後にローンを返済することになる。

第3に、教育費の「保護者負担」は、親や保護者が子どもの教育に責任を持つべきだという教育観が背景にあり、教育費負担の「家族主義」と呼ぶことができよう。日本・中国・韓国などで強い教育観である。