「超知性」が人類を滅ぼす日は来るのか〜欧米人が真正面から危惧している文化的理由

池田 純一 プロフィール

彼らの間ではSF的想定は、十分哲学的な「思考実験」として正面から受け止められる。その上で、社会に薄く広まったアポカリプス的発想の土壌があるためか、東洋人にとっては単なる可能的想定の一つでしかない破滅的未来が、西洋人の場合は、なかば運命的未来に転じてしまう。

信じられない人は、Y2K問題、2000年問題のことを思い出してほしい。コンピュータが誤作動し、世界中のシステムがダウンするのでは? という想定は、西洋世界の場合、それが2000年という千年紀の境目でもあることから、技術的問題である以上に、文化的な危機として受け止められていた。

同様の真剣さを、シンギュラリティ、トランスヒューマン、その先にある人類絶滅というシナリオについて求めることは、決して奇異なことではないのである。

シリコンバレーがAIを手放すことはない

AIがもたらす社会変動については、ホワイトカラーの仕事が奪われる、というような話題がよく聞かれる(たとえばマーティン・フォード『ロボットの脅威』など)。

しかし、労働や雇用の問題は、革新的破壊者(innovative disrupter)たるシリコンバレーのスタンスとしては、弱腰になるところではない。技術革新そのものを否定することはないからだ。

もちろん、このことは“Uberization”や“Gig Economy”を巡る問題としてアメリカでも強く認識されており、今年であれば、おそらくは予備選を終えて以後、大統領選の本選が始まる秋以降、近未来のアメリカの経済政策を巡るイシューの一つとして扱われることだろう。

というのも、現在のいわゆるトランプ&サンダース旋風は、世界の組立工場となった東アジアに仕事を奪われたワーキングクラスの白人中年男性のいらだちと、リーマン・ショック以後の不況から漠然と将来に対して不安を感じる若者層によって引き起こされているからだ。

そのような直近の未来の社会経済のバランスを巡る問題は確かにあるものの、しかしシリコンバレー側がウーバーニゼーションをもたらすようなイノベーションそのものに対して及び腰になることはないだろう。ましてや、クラウド・コンピューティングとともに近未来のイノベーションの苗床として期待されているAIを放棄することなど考えられない。

逆にそれゆえ、AIについては、SIへの到達という限界状況の是非をめぐって、人類絶滅という観点からの検討へと飛躍してしまう。「社会」の問題ではなく「世界」の問題へと格上げされてしまうのだ。

特定の「社会」をすっ飛ばして、人類共通の「世界」へと極大化され、議論の性格も思弁的なものへと普遍化される。労働や雇用に照準する「社会」の問題の議論とは次元が異なるものであり、本質的には地球環境問題と変わらないスケールを持つに至る。