松田 志村さんはコメディアンになりたくてドリフに入った人だから、ミュージシャンが自然体でお笑いをやっていった感じの他の4人よりも、より笑いにストイック。努力家だった。'76年に「東村山音頭」で人気になるまで、相当苦しんだと思います。
田村 志村さんの起用法も含めて、いかりやさんはとにかくディレクター任せにできない、自分で考えまくる人だった。
西条 企画会議でもすごかったらしいですね。
松田 いかりやさんはいつも、ブラインドの隙間に頭を突っ込んでじっとしていた。寝ているように見えるんだけれど、実はじっと考えている。そのまま3~4時間経つこともありました。
田村 その間、メンバーも黙りこくってね。僕はクレイジーキャッツの台本も書いていたけど、書くほうとしては、クレイジーのほうが遥かに楽なんです。ハナ肇さんや谷啓さん、それぞれの個性が際立ってるから、当て込んで書けば、あとは各自でやってくれた。
でも、ドリフで最初からキャラが立っていたのは加藤さんくらい。だから、台本の段階で綿密に作りこまなくちゃいけない。