松田優作、力道山…日本の芸能・スポーツ界を支える「在日」が出自を隠す理由と苦悩

知られざる在日コリアンの実像
週刊現代 プロフィール

私はいまから三十数年前に京都の同志社大学を卒業しましたが、同じサークルにいた数十人の在日コリアンのなかで、日本企業に就職できたのは2人だけでした。高度成長期の当時、私たち在日2世、3世が日本企業に就職するのは決して簡単ではなかったのです。

そんな中、容貌が優れていたり、実力さえあればのし上がれる芸能界やスポーツ界は、在日コリアンにとって打ってつけの就職先だったのです。

そうはいっても、やはり「人気に影響するから」との理由から、所属するプロダクションは在日という出自をタブー視する傾向があり、それは実はいまも続いています。

隠さなければならない理由

私が大学生のころ、夢中になった女優が松坂慶子でした。同世代で、妖艶なバニー姿の『愛の水中花』に魅了された男はあまりにも多いことでしょう。その当時、居酒屋で飲んでいると、たまたま『愛の水中花』が流れてきたのですが、同席していた友人が、こんなことを口走ったのです。

「松坂慶子、たまらんなあ。在日ちゃうんかな、あの顔はもろ在日やで」

私はこの友人のヨタ話のような酔言を「ほんまかいな」と聞きつつ、少なからず動揺してしまいました。憧れのあの松坂慶子が自分と同じ在日?そうであってほしいという気持ちとそんなはずはないという気持ちが入り混じっていたのです。

ところが後に、この友人のヨタ話が事実であることが判明しました。松坂慶子の両親が著書『娘松坂慶子への「遺言」』(光文社)を刊行し、父が戦前、15歳のときに釜山から渡ってきた在日コリアンであったことを明らかにしたのです。

父の本名は韓英明といい、長崎の高島炭鉱、福岡の筑豊炭鉱で働きました。筑豊炭鉱は、松坂慶子が体当たりの演技を見せた『青春の門』の舞台です。その後、紆余曲折の後に日本人の妻と出会い、娘を非嫡出子として妻の戸籍に入れて、松坂慶子は日本籍となって、女優としての才能を開花させていったのです。