五輪エンブレム、なぜA案しかありえなかったのか?

大騒動を通じた2つの学び
河尻 亨一 プロフィール

B~D案がふさわしくない理由

では、どこにそれだけの差が出ていると考えるのか? まずB~D案に関して個人的レビューを記したい。

まず、B案(つなぐ輪、広がる和)について。これはメディアによる調査でも高い人気を得ていたものだそうだ。確かにシンプルで躍動感のあるデザインである。だが、オリンピックのマークそのものとのイメージの近さが気になった。

五輪のエンブレムは「その地で行われるオリンピックとは?」というお題に対するビジュアルとしての回答を出すことである。

その意味でこれは「東京のオリンピックとは?」という問いに対して、「いえ、たんなるオリンピックです」と答えているかのような印象がある。もちろん、人型を取り入れるなどデザイン的工夫は巧みに施されているが、根本的なアイデアに弱さがある。

オリンピックを異なる視点から解釈・再構築する「それぞれのオリンピック」を提示することが、各大会のエンブレムに課せられたミッションだ。

C案(超える人)はどうだろう? これも明快で力強い造型である。風神雷神という琳派の伝統モチーフを用い、マティス風というのか? あるいは岡本太郎風なのか? 人型に大胆なデフォルメを施し、オリンピックとパラリンピックの2対に落とし込むアイデアが面白い。

一方で、疑問も残る。今年開催されるリオデジャネイロの大会が躍動的な人型をエンブレムに採用しているからだ。2大会続けてそういったデザインが続くのはいかがなものなのだろう。くわえて「人」をデフォルメしたデザインは過去にも名作が多く、そういったものとの比較で「世界に対してどう見えるか?」と考えると、積極的には推せない気がする。

D案(晴れやかな顔、花咲く)は「朝顔」をモチーフにした大変親しみやすいデザインだ。カラーリングも美しく、好き嫌いで言えば私は好きである。

だが、このデザイン案のどこがどのようにスポーツの祭典につながっていくのか、コンセプトの文章を何度読んでも私には腑に落ちなかった。パラリンピック案への展開もスッキリしない。

B~D案はいずれも親しみやすいデザインだが、上記のことから私は五輪のエンブレムにはふさわしくないと考える。商標登録が可能ということは、どこにも類似するデザインがないということだが、それにも関わらず既視感があるのはどうしてだろう?