1989年4月5日、センバツ決勝「上宮vs.東邦」
悲劇のピッチャー宮田正直は、その試合を覚えていない

甲子園「記憶を失ったエース」の物語
週刊現代 プロフィール

そのアクシデントは'99年3月21日午前、福岡ドーム(現福岡ヤフオク!ドーム)、阪神とのオープン戦の試合前、打撃練習中に起こった。打撃投手をしていた宮田の後頭部を、ライナー性の打球が直撃したのだ。

ただちに救急車で近くの病院に搬送され、MRI検査とCTスキャンで脳の内部に出血があることが確認される。その出血が止まってからも右半身が麻痺し、視覚や言語にもしばらく障害が残った。さらに、チームの同僚や選手やコーチが見舞いに訪ねてきてくれても、顔はわかっても名前が思い出せない状態が続いた。

「それ以来、高校のころやとか、昔のことを思い出せなくなりました。頭ん中に断片的に残ってる部分もありますけど」

宮田が失った記憶の中に、高校野球史上、非常に重要な試合が含まれていた。'89年4月5日、第61回選抜大会決勝戦、上宮高校対東邦高校の一戦である。延長10回裏、2-1と1点をリードした上宮が、2死走者無し、悲願の初優勝まであと打者ひとりまできながら、逆転サヨナラ負けを喫した試合だ。

選抜史上最も悲劇的と言われたこの試合の映像は、いまも選抜の季節が巡ってくるたび、NHKが中継の合間に繰り返し放送している。今年も3月21日、釜石高校対小豆島高校の1回戦のあと、“振り返り企画”として流された。あのマウンドに立っていた上宮の2年生エースが宮田だった。

たった27秒間の逆転劇

'89年当時、26歳だった私は、夕刊紙・日刊ゲンダイの記者として甲子園に行き、あの選抜を取材していた。

上宮の初優勝まであとひとりとなってから、突然試合の流れが逆流したかのように上宮が押し戻され、瞬く間に東邦が勝利をさらっていった。その間、僅かに27秒。最後に明暗を分けたのは、2-2の同点になった直後、サヨナラの走者を二・三塁間に挟んだ上宮の三塁手・種田仁の二塁送球と、二塁手・内藤秀之の傍らを抜けたボールのイレギュラーバウンドだった。

「ボールが遠い!逃げていく!ボールが逃げていく!サヨナラ!」

MBS(毎日放送)のアナウンサー・水谷勝海の絶叫は、右翼の芝生の上を転がってゆく白球、グラウンドに突っ伏した上宮の主将・元木大介の映像とともに、その後も長く私の記憶に残った。ゲームセットまでの27秒で形勢が完全に引っ繰り返った野球の怖さとダイナミズムに、鳥肌が立つ思いをした。野球という枠組みを越え、人生や青春の縮図そのものではないかとすら感じられた。

翌'90年春、ふたたび甲子園へ選抜の取材に出かけた私は、東邦の監督・阪口慶三に話を聞く機会に恵まれた。

甲子園の近くにあるホテルのロビーで「去年の決勝戦は負けたと思いました」と、阪口は穏やかな口調で振り返った。宮田はどうしてあとひとりで突然崩れたのか。守備の上手な種田はなぜ送球を焦ったのだろう。当然のことながら、阪口は「私にはわかりません」と答えている。

私が久しぶりに宮田の名前を聞いたのは、あの決勝戦から25年後の'14年だ。DeNA用具係・入来祐作(現ソフトバンク二軍投手コーチ)に光山英明を紹介され、彼が経営する東京・吉祥寺の店〈肉山〉を訪ねたときのことである。カウンターの内側に立つ光山に「'89年、ウチの高校が逆転サヨナラ負けした選抜の決勝戦、ご存じですか」と聞かれて、四半世紀ぶりに甲子園での光景を思い出した。