高知のダメ支店を「日本一」に変えた、キリンビール営業マンの奇跡

「高知が、いちばん。」誕生秘話
田村 潤

本社に直談判しかない!

毎日のように宴会に出て話していますと、以前はキリンを飲んでいてくれた人が今日からアサヒに変えているのを目前にすることも増え、ブランドスイッチの大きな波を痛感せざるを得ませんでした。

そうした波が起こると、キリンを飲んでいる人の肩身が狭くなる。キリンを飲んでいる人も、自分もアサヒを飲んでみようか、ということになる。

目の前で日々繰り拡げられている、この悪循環を断ち切るにはどうしたらよいのか。わたしたちは「キリンは高知の人を裏切った。だから信頼を取り戻さない限り、勝ちもない」と感じていました。

ならば、そのお客様の信頼を取り戻すこと、期待に応えることが、我々の仕事ではないのか?それはラガーの味を復活させることではないのか?

しかし、それはそう簡単なことではありません。商品の味、品質、全国展開している広告という領域には、一支店、一営業マンの力は及びません。わたしの権限をはるかに超えています。

1997年、わたしは機会を見つけては、本社に行き、進言を続けました。本社の人間は「現場の事情はわかるが、ここで味を戻したら、キリンがぶれていると思われる」と、わたしの意見に露骨に嫌な顔をします。

実は前年の1996年に、全国支店長会議というものが行われ、その場でも、「ラガーの味を元に戻すべき」と意見を述べました。すると、マーケティングの責任者は「売れないことを本社の責任にするような支店長は失格だ」と言う。

「完全にこれは本社のマターだから、本社に責任がある」と言わざるを得なくなり、喧嘩になってしまいました。それが原因かわかりませんが、以来、毎年恒例だった全国支店長会議はなくなってしまいました。

会議のあとの懇親会で、他の支店長からは「田村、よく言った」と賛同を得ましたが、結局、子供の喧嘩のような言い合いで終わってしまい、問題は解決しなかったのです。

個人的な本音として、わたしの意見に賛成の人は社内にかなりいたようでした。しかし、キリンビール本社の組織の一員として会議を重ねて結論を出してきているので、表立ってわたしの意見に賛同するというわけにはいかなかったのです。