高知のダメ支店を「日本一」に変えた、キリンビール営業マンの奇跡

「高知が、いちばん。」誕生秘話
田村 潤

ラガーの味覚変更が行く手を阻む

わたしは高知での仕事がほんとうに楽しくなっていました。課長、メンバーに恵まれ、こんなチャンスはなかなかない、そして高知は人柄の良い方が多く、住みやすく、こんなに幸せなことはない、と思っていました。どんどん高知が好きになっていました。

しかし一方で、市場がスーパードライにどんどん侵食されている流れはとどまるところを知らず、高知県で1996年に38%に落ちたシェアは、1997年には37%とさらに落ち込んでいました。

その原因のひとつはあきらかに、看板商品であるラガーの商品力でした。それまでキリンラガーを愛飲していた人たちが「オレの愛してるブランドを勝手に変えた!」と怒ったのです。調査を根拠に弱点である若者層を取り込もうとして、本来大切なお客様を失ったのです。

料飲店を回る活動のなかで、県民の皆さんにキリンビールのことを聞くと、異口同音に「キリンビールは特別なものだった。嬉しいときにも哀しいときにもそばにあった」「辛い仕事のあとに、あの苦味の利いた冷えたラガーを飲むと明日も頑張ろうと思った」と言ってくださる。

しかし、ラガー瓶消費量日本一の高知県の市場は、ラガーの味覚変更にハッキリとノーと言っていました。料飲店を回る営業マンは何かにつけ、「味を元に戻せ」「あの苦味が良かったのに」と言われ続けていました。

ブランドはメーカーのものではなく、お客様のものであることが骨の髄までしみました。