坂口恭平の熊本脱出記(2)真夜中の激震〜なぜ僕は「避難所」で鬱になったか

東京「外遊中」に家族のいる熊本で大地震が起きた坂口恭平(新政府内閣総理大臣)は、一睡もしないまま夜を明かし、なんとか熊本市の自宅までたどり着いた(第1回はこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/48475)。被害状況を目にして、これなら時間をかければ復興できると思ったのもつかの間、その日の夜にふたたび激震が襲ってきた……。
一瞬で生死が分かれる危機。そのとき坂口は何を考え、どう動いたか。瞠目のリアルタイム・ドキュメント第2回。
TEXT 坂口恭平
2016年4月16日
鼻をすする音がする。薄めを開けてみると、メイ(15歳。僕の姪っ子。義姉アヤコの子)が起きてきてテーブルの上のティッシュを取っている。鼻炎だろうか。いや、怖くて泣いているのだろうか。僕はメイに声をかけてみた。
「どうしたの?」
「うん、なんだかわけがわからなくて」
メイは悩みを抱えているようだ。それもそうだと思う。2011年3月11日に僕たち家族と一緒にまずは大阪に逃げてきた彼らは、父が働いているシンガポールに移住した。しかし、シンガポールには公立の日本語高校がなく、そこでメイは熊本に来ることを選び、無事に難関高校に合格、入学したばかりだったからだ。パニックにならないほうがおかしい。
僕は起き上がると、隣の部屋の明かりをつけ、メイと2人でいろいろと話をした。繊細な彼女は東日本大震災でも傷を負っていたのだ。それを聞きながら、僕は、苦しいことはちゃんと口に出し、時には文字にしたらいいよ、と伝えた。作家になってみたら? というと、興味ありそうな顔をしていた。
しばらくすると、アオ(娘・7歳)が起き出してきた。
「眠れない」
同じく繊細なアオはテーブルの下にしかいられないはずだったのに、明かりをみて、こちらに近づいてきたのだ。僕はアオを抱っこすると、3人で話を続けた。アオは少しずつ眠くなったようで、今度はフー(妻)の横で寝たらと言い、フーの横に連れていった。メイはもうちょっと話したいという。
そのとき、突然、部屋が揺れた。
怪獣が外から両手でマンションを持ち、揺さぶっているような感覚。
その瞬間に、停電した。