
戦後、衣食住もままならない時代に創刊された雑誌は、世の主婦たちのバイブルとなった。モノやおカネがなくとも、暮らしをもっとおしゃれに豊かにしたい。その情熱が日本の家族を元気にした。
広告は一切掲載しない

「約束してくれないかい? とと(父)の代わりを務めると」
肺結核が進行し、衰弱しきった父・竹蔵(西島秀俊)の懇願に、常子は涙をこらえて頷いた。その3日後、竹蔵は息を引き取った。小学5年生ながら葬儀で喪主を務めた常子は、母と二人の妹を前にして「今日から私が家族を守る、とと(父)になる」と宣言するのだった——。
前作『あさが来た』の勢いそのままに視聴率20%以上を記録するNHK朝ドラ『とと姉ちゃん』。父との別れを乗り越え、今週から物語は高等女学校編へ。戦争を経験し、常子(高畑充希)は出版社設立に向け動き出す。
主人公・小橋常子のモデルとなっているのは、天才編集者、花森安治と共に雑誌『暮しの手帖』を創刊した大橋鎭子('13年に93歳で没)だ。
大橋鎭子には馴染みがなくとも、『暮しの手帖』といえば、名前を聞いたことがある人は多いだろう。最盛期には100万部近い部数を誇り、現在までの発刊数は、480号を超える。
大橋鎭子と花森安治が、『美しい暮しの手帖』(5年後に『暮しの手帖』へと改題)を創刊したのは、昭和23年(1948年)。ファッションや料理、編み物、収納術など衣食住に関わる「生活の知恵」を紹介し、主婦の強い味方となった。
戦時中の「お国のために」と耐久生活を強いられた日々から、人々がようやく解放された時代。誰かに無理強いされるのではなく、一人一人が自分の生活を大切にしていこう——創刊号から現在に至るまで、表紙裏に書かれている〈これはあなたの手帖です〉という言葉が、鎭子と花森の気持ちを代弁していた。
またその思いから、二人は同誌に一切広告を掲載しないというスタイルを選択した。
一つの文字から一枚の写真、小さなイラストまで、心ゆくまで自分たちの手で制限なく作りたい。だから広告は載せない。その精神が多くの女性の気持ちを惹きつけた。