坂口恭平の熊本脱出記(1)あの日、東京で感じた「予兆」〜そして家族の待つ熊本へ

「新政府」総理大臣が緊急特別寄稿!
坂口 恭平 プロフィール

途中、美しい川沿いの道を見つけたので、気持ちに余裕ができた僕は停車し、タバコを吸った。そこには「仇討ちの地」という看板が立っていた。

「ん?」

見てみると日本で最後に正式に仇討ちを行った場所だという。日付は1871年4月16日。

うっかり平和な景色に見とれ、地震のことを忘れていた僕にふたたび嫌な気分がもどってきた。今日は4月15日。明日、何か変なことが起こるのではないかという思いが、一瞬、頭を通り抜けていった。

昨日、フーの電話を受けてからまだ寝ていない。頭が異常に冴えている。僕は躁鬱病を患っているのだが、このような危機的状態になると逆に興奮してしまうのだ。とにかく気を鎮めようと静かな音楽を聞きながら、新町へと向かった。

家族はみんな元気そうだった。町の様子もそこまで変わっているとは思えない。もちろんところどころは壁が崩れ落ちていたが、もとから新町というのは古い情緒を残した町屋が並んでいるのでそれは仕方がないと僕は思った。

家に戻ると、アオが飛び込んできた。パパがいないともう嫌。どこも行かないで。ゲンも言っている。怖い思いをさせてすまないと思った。

僕は自分の車を熊本空港に置いたままにしていたので、ついでに取りに行こうかとも思ったが、益城が震度7だったと聞いて、すぐに行く気にはなれなかった。家族も離れないでと言っている。

僕は知人に電話し、益城の状況を聞くと、警察が止めていて中に入れないという。バイクで向かって様子をまた伝える、と言われた。

知人である熊本県副知事にも電話。彼は僕の本の読者でもある。益城の岩永地区がかなりひどい。しかし、局所的なものなのであり、ヘリを稼働させればどこが被害を受けているかすぐにわかるので、把握できていないというわけではない、とのこと。死者の数ももうこれ以上は増えないのではないかと言っていた。

震度7のわりには意外にも被害は少なかった。大丈夫だ。少しずつ復興していけばなんとかなる。そのときの僕はそう思っていた。

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