清原和博を縛った「男は強くなければならない」という呪い

だから、日本の男は「生きづらい」
田中 俊之 プロフィール

誰よりも強くあることを求められた

さらに清原にとって不幸だったのは、「清原和博」という周囲からのイメージが、あまりに高いハードルだったということである。

巨人に移籍してからの清原の成績は、期待を裏切るものであったと多くの人が記憶しているかもしれないが、その認識は必ずしも正確ではない。実際には、ジャイアンツの主力選手として十分な成績を残した。

20代後半の西武ライオンズ時代の成績から考えれば、移籍後の.250前後の打率や30本前後のホームランといった数字は妥当なものだろう。その後、30代の半ばになった清原和博は、ささみばかりの食生活が注目されたケビン山崎との肉体改造が話題となり、無駄に筋肉をつけたことが故障につながったと批判されたものの、2001年には、打率.298、ホームラン29本、そして、自己最高となる121打点という素晴らしい成績を残した。

2002年は故障で55試合の出場にとどまったが、翌2003年には、打率.290、ホームラン26本、68打点と十分な働きを見せた。2003年の段階で、清原和博はすでに36歳である。競争の激しいプロ野球の世界で、体力の衰え始めた30代になってからも活躍を続けるのは難しい。

それにもかかわらず、清原は「期待外れ」と考えられてきた。高い期待をかけられていたがゆえに、成績が少しでも振るわなくなると「選手として終わり」という印象を持たれてしまう。性格だけではなく、選手としての成績まで「清原和博」というイメージだけで語られてしまっているのだ。

自身を「ガラスみたいな心」の持ち主と表現していた清原は、こうした状況に、弱みを見せてはいけないと、焦燥を感じたはずである。結果、誰よりも「強い男」として「番長」というキャラクターを身にまとうことで、自分を守るしかなくなってしまったのではないか。

『FRIDAY』に初めて「番長日記」が掲載されたのは、巨人に移籍した直後の’97年5月のことであった。そして、覚せい剤の使用も、こうした焦燥、自分を鼓舞するための「男らしさ」という衣装をまとったことの延長にあるのではないか。