清原和博を縛った「男は強くなければならない」という呪い

だから、日本の男は「生きづらい」
田中 俊之 プロフィール

清原和博から「清原和博」へ

大阪の岸和田で少年時代を送った清原は、祖父から「和博、日本一の男になれ。日本一の男になるんだぞ」と言い聞かされていたそうだ。「大阪で一番になっても、しょせん大阪の一番。東京で一番になったら日本の一番や」。

この時、清原が日本一の男として思い浮かべていたのが、東京の読売ジャイアンツで活躍する王貞治だったという。幼い頃から、「大きな夢」を持たされることは、男の子特有の慣習だ。

清原は高校時代、甲子園を沸かせ、西武ライオンズでも活躍は続く。さらに、FAで西武ライオンズから読売ジャイアンツに移籍したことで、清原和博の人気は絶頂を迎えた。

だが、それと同時に、歯車が狂い始めた。清原本人がコントロールできる範囲を超えて、「清原和博」としてのイメージが固定し始めるのだ。メディアに追い回され、清原のプライバシーはほぼ消滅した。こうした状況の変化について、清原は自伝『男道』の中で次のように語っている。

「それまでだって視線は浴びてきたけれど、それはあくまで野球選手に注がれる視線だった。ジャイアンツの選手になってからは、タレントか何かになったような感じだった。西武時代の若い頃は、それこそ平気で顔をさらして友達と一緒に合コンだって出かけていたのだ。そんなこと、とてもできるような雰囲気ではなかった。いつも誰かに見られていることを意識しなければならなかったし、それはプライベートはもちろん練習中でさえも同じだった」

人は誰しも、人目につく場所を離れて落ち着くことのできる「舞台裏」が必要である。一般の会社員でも、「父」という役割を全うしなければならない家庭、そして、「戦う男」という役割を意識し続けなければならない職場の往復だけの毎日では息が詰まってしまうだろう。家庭でも職場でもないサードプレイスの確保は、日々、重要な課題である。

ところが清原はメディアに追いかけられることによって、いついかなる時でも「強い男」というキャラクターであり続けなければならない状況に陥ってしまったのである。

ジャイアンツ時代の清原和博は、一挙手一投足に注目が集まり、「舞台裏」を失い、生活のすべてが「表舞台」になってしまった。こうして、清原和博の職業は単なるプロ野球選手ではなくなり、常に周囲からの視線によって形作られる「強い男」としての「清原和博」、いわば「職業としての清原和博」になる。