「闇カジノ」店長が明かした!
桃田&田児「ギャンブル中毒者」の姿

二人はこうして堕ちていった
週刊現代 プロフィール

同店の店長だったA氏(47歳)が振り返る。

「彼らは店の雰囲気に臆することなく、ラケットを提げ、ジャージ姿で堂々と店に来ていました。20歳そこそこの若い男が何十万もの大金を何度も賭けるのです。店の関係者も客も、彼らが何者かわかっていました。

私が錦糸町で闇カジノを開いたのは'14年11月です。彼らのうち、最初に店にやってきたのは田児でした。12月頃、提携していたキャバクラのキャッチ(客引き)が『歌舞伎町で大きな勝負をやっていると豪語する若者がいる』と連絡してきたのです。いい客になるかもしれないと思い、招き入れました。それが田児との出会いです。

彼は一緒に飲んでいた仲間を2人くらい連れてきました。田児は若いのに、たしかに大きな金額を張る男だった。初回は何十万円か負けて帰っていったように記憶しています」

以降、田児は週に数回の頻度で店にやってくるようになったという。A氏が続ける。

「完全なギャンブル依存症ですね。勝っても負けてもやってくる。一日に3度来店することもありました。飲み会の前に軽く寄り、飲んだ後に友達を連れて明け方まで打つ。そして帰ったかと思ったら、3時間くらいしてまた戻ってくるんです。練習から直行して来ることも。

賭け金も多かったです。勝負どころでは、数十万円を賭ける。だから、一日で100万円単位で勝つことも、負けることもありました。最終的に1000万円は損をしているはずです」

そんなギャンブル中毒者が連れてきた後輩が、桃田だった。

「桃田が来たのは、田児が通い始めて1週間後くらいだったと思います。田児は桃田だけでなく、他のバドミントン選手も何人も連れてきましたよ。正直、バドミントン選手なんて知りませんから、顔と名前は覚えていません。見るからに体育会系の先輩、後輩の関係で、先輩の田児に全員が敬意を払っていたのが印象的でした。

ただ他の選手たちは来ても1~2回程度だったと思います。どっぷりとハマったのは、田児と桃田。彼らは海外遠征などでカジノ遊びを知っていたらしく、初めから慣れた手つきでプレイしていました」(A氏)