中国vs香港、現実味を帯びる「独立論」〜若者はこうして大転換を起こす

倉田 徹 プロフィール
天安門事件追悼集会の様子 〔PHOTO〕gettyimages

中国離れと過激化:独立論の浮上

「雨傘運動」に至るまでの数年の間、観光客の大量流入の副作用などにより、香港市民の間では大陸に対する反感が高揚していた。「雨傘運動」の後、いずれにせよ北京は対話に応じないと考えた若者たちは、ますます「中国離れ」へと転じた。

例えば、毎年恒例の民主派による天安門事件追悼集会の参加人数は、2014年には主催者側発表で18万人以上と過去最高となったが、「雨傘運動」後の2015年には同13.5万人に減少した。

その主な原因となったのは若者の反発であった。毎年の集会では「建設民主中国」というスローガンを叫ぶが、このスローガンに対し、若者は「建設民主香港」にすら成功していないのに、中国の民主化にまで「お節介」を焼いていられないと反発し、多くの学生が支連会の集会を離れ、香港大学で同じ時間に別途集会を開催した。

「香港が中国を助けよう」から、「香港が中国のようにならないようにしよう」への転換は、香港の若者の態度が、中国を「外国」と見なす台湾に近づいてきたことの表れとも言えるであろう。

日本でも大いに報じられた、中国大陸での発禁本を扱う「銅鑼湾書店」関係者失踪事件に対しても、若者は総じて冷ややかである。結局のところ、発禁本は大陸からの観光客への土産物として売られてきたという性質があり、書店関係者もその意味では香港の若者が嫌う大陸観光客向けの商売をしてきたのである。

若者の間で書店関係者への同情が広がることはなかった。特に、香港で失踪し、大陸で現れた李波が、中国の発展ぶりと公安の紳士的対応を称賛し、香港市民に騒ぎ立てるなと発言したことは、「李波は大陸当局に脅されて言わされている」という同情や心配よりも、むしろ共産党の言いなりになったとして、ネット上では極めて不評であった。