佐藤優直伝!「バカ扱い」されない教養力
〜ビジネスマンこそ「日本史」を学べ

本書には、戦後の標準的な歴史認識が書かれている

では、本書における満州事変についての記述を見てみよう。

<満州事変

(前略)蒋介石の中国国民政府はアメリカ・イギリスと結び、ソビエトにも接近する姿勢を示したが、満州に強大な権益を張る日本に対しては、排日方針をますます強化していった。張作霧の子の張学良(1901~2001)は国民政府に合流し、強硬な排日運動を行ったから、満州における日本の権益も安定性を失うようになった。

【解説】

国内に資源らしい資源をもたない日本の資本家にとって、満蒙の豊富な資源は不可欠であった。朝鮮で民族運動が激化しつつある当時において、満蒙はその緩衝地帯としての意味もあった。また、日本資本主義にとって、ソ連がもっとも不気味な存在だったから、満州を対ソ戦略の前線基地にしようとする意図があった。さらにすでに三月事件を起こしたように、政権奪取の機会をうかがっている右翼・軍部は、対外戦争によって国家改造を一挙に実現しようとしていた。国内における大恐慌の影響、労農運動の激化というものがその背後にあるとすると、その目を具体的に満州に向けさせた契機には、このような点が考えられる。

1931年には万宝山事件や中村大尉事件が発生した。万宝山事件とは、7月に長春付近の万宝山で、朝鮮移民と中国人とが衝突した事件、中村大尉事件とは、6月に興安嶺方面をスパイ活動中の中村震太郎大尉とほか1名が殺されたことが8月に判明した事件であるが、軍部はこの事件を大々的に宣伝し、治安維持のため満州を占領せよとあおりたてた。

綿密な作戦計画を立てたうえで、1931年9月18日、関東軍は奉天北郊の柳条湖で、南満州鉄道の線路を爆破した。これを柳条湖事件という。関東軍はこれを中国軍のしわざであると称し、ただちに満州における全面戦争に突入した。これが満州事変である。政府は不拡大方針をとったが、関東軍は進撃を続け、朝鮮駐留の陸軍も越境して進撃し、翌1932(昭和7)年1月までに満州をほぼ占領した。

【解説】

アメリカは極東でもっとも日本に対立していたが、大恐慌による打撃が深刻だったから、日本の軍事行動に対して、有効な対抗手段をとることができなかった。張学良軍の約半数は当時華北に移駐して満州を留守にしていた。また、蒋介石・張学良は、あえて日本軍に抵抗しないよう指令を発したので、日本軍はたちまち満州を占領した。

(p.197~198)>

こうして見てみると、安倍首相の談話で示された<満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。>という評価は、戦後のごく標準的な歴史認識なのである。

戦後70年談話のから判断する限り、日本政府が右傾化し、歴史修正主義的な方向に舵を切り始めているとは言えない。言い換えるならば、権力を握っている政治家が、極端な歴史認識を個人的に抱いていたとしても、公人として発言するときは実証性を無視することはできないので、日本国家としての歴史認識が大きく動揺する可能性は少ないということである。

現下の日本では、客観性や実証性を無視し、自分が欲するように世界を理解する反知性主義が強まっている。反知性主義の罠に陥らないためにも、実証性と客観性を重視する本書で日本の近現代史を学ぶことには大きな意味がある。

佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」(2016年4月13日配信)より