ヨーロッパの華やかな小国・ベルギーがなぜ「テロの温床」になったのか

自治と共存の伝統はいったいどこに…
松尾 秀哉

言語対立とテロ

第二次世界大戦後のベルギーは、フランデレン(オランダ語)とワロン(フランス語)の互いの政治的自治を高めようとした。中央での協議をできるだけ避けて、それぞれのことはそれぞれで決めることにして、対立を生まないようにしたのである。

その結果、1993年にベルギーは中央政府から地域政府(フランデレン、ワロン、ブリュッセル)へと大幅に権限を移譲して分権化を進めた連邦制を導入した。それは、国がある政策を一元的に実行するのではなく、地域政府が管轄する地域の政策をそれぞれ実行することを意味する。

すなわち地域が違えば、政策も異なる。たとえば空港の騒音規制を決めるに際して、フランデレン、ワロン、ブリュッセルが異なる基準値を提示して、しばらく話し合いがまとまらなかったことがある。当然だが、分権化が進めば、集団的な管理は難しくなる。

以上のような言語対立を背景に、「オランダ語圏の中にあるフランス語圏」として、ブリュッセル首都圏は19の区に行政の管轄が分かれ、それぞれに市(区)長がいる。住民のほとんどがフランス語を語る両語圏のなかで、飛び地のようにオランダ語話者の集住地区が存在していることもその原因だ。

ブリュッセル19区とモレンベーク 〔IMAGE〕Wikipedia

それぞれの区長たちは協調的であるよりも、自らの支持を集めるために、非協力的であると言われている。警察も6管轄に分かれているため、管轄が異なれば手が出しにくい。

また、インテリジェンス(諜報活動)の管理も多元的で、データはひとつのネットワークで管理されておらず、各地区の公安担当者は、危険人物リストをeメールに添付してやり取りしていると現地ル・ソワール紙は報道している。

こうしたベルギー側の多元的な治安、管理体制の問題は指摘されて仕方ないのかもしれない。しかしブリュッセルを歩いたことがあるだろうか。大通りには様々な肌の色、目の色をした人びとが歩いている。そもそもそのすべての人からテロリスト容疑者を峻別することが可能だろうかとも思う。

本来ベルギーは、「ヨーロッパの十字路」として多くの人びとが往来し、多民族、多言語が共存してきた国である。そしてその「共存」を支えて来たのが「自治」の伝統である。多文化が共存するためには、それを構成する部分の自治が不可欠だ。そしてそれによって、ベルギーは長く苦しみながらも維持されてきたのである。

つまり、問題は治安体制の瑕疵よりも別のところにあるように思われる。ここで重要なのは「政治」の役割である。