ヨーロッパの華やかな小国・ベルギーがなぜ「テロの温床」になったのか

自治と共存の伝統はいったいどこに…
松尾 秀哉

「テロの温床」モレンベークの歴史

ブリュッセル郊外のモレンベーク地区にパリ同時テロの実行犯グループが潜んでいることが報道されて以来、モレンベークは「テロの温床」と呼ばれることが多くなった。簡単に歴史をみておこう。

前述の通り、ベルギーは「ヨーロッパの十字路」である。ブリュッセルを起点に多くの国際鉄道が通り、多くの人が往来する。また、ベルギー独立当初、南方のワロン地方は多くの石炭を埋蔵し、ヨーロッパ大陸の中で最も早く産業化が進んだ地域だった。特に交易の中継点として首都ブリュッセルは発展し、ゼンヌ川が近くを流れるモレンベーク地区には水路が引かれ、河川運搬の拠点となり、多くの労働者が集まった。

ベルギー独立直後の1835年、ベルギーはヨーロッパ大陸初となる旅客鉄道路線を引いたが、その路線はこのモレンベーク地区を起点とするものだった。少なくとも第一次世界大戦までは、ヨーロッパで最も華やかな地域の一つだったと言ってもいい。

第二次世界大戦後、高度経済成長期1950年代から60年代初頭)以降には労働力不足を補うため、旧植民地を含むアフリカ諸国からも移民が集まった。しかし石油危機によって、多くの企業、たとえば大手スーパーマーケットチェーンであるデレーズ(Delhaize)が撤退していく。やがてこの地は荒廃し、スラム化していった。

初期の都市社会学の研究対象として知られ、同じように周辺地域が荒廃した都市としてアメリカのシカゴが挙げられるが、モレンベークは、しばしば「ゼンヌ川沿いのシカゴ」と呼ばれることもある。

こうしたスラム化と今回のテロを直接に結びつけるのはやや単純にすぎるかもしれない。軽犯罪は多発していたが、それはテロのネットワークとは異なる。スラム化し、貧しい移民の集住地区と化したモレンベークに国際的なテロ組織が介入し始めたのは、9.11同時多発テロ後だと言われる。

英ガーディアン紙によれば、9.11以降、アメリカとの連帯を表明したイギリス(ロンドン)、列車爆破テロが生じたスペイン(マドリード)には徹底的な公安の捜査が入ったが、「ベルギーは無視された」とされる。

さらにオランダのライデン大学でテロを研究しているエトヴィン・バッケル教授によれば、このオペレーションによって、イギリスやスペインの拠点が制圧され、国際的なテロ組織は分断された。分散したテロリストは、比較的安全なベルギー、モレンベーク地区に集まった。公安当局は、分散したために、逆にテロリストを見つけ出しにくくなったのかもしれない。

しかし、スラム化したモレンベーク地区にテロリストが集まったことだけで、昨年のパリや今回のベルギーのテロを説明してしまうのも、何か足りない気がする。同様の状況にある国際都市はヨーロッパ、そして世界にまだまだあると思われる。

実際に全人口に占めるムスリム人口の割合(国単位)は、店田廣文によれば、ベルギー(4.0%)よりもオランダ(6.0%)、フランス(4.3%)、ドイツ(4.3%)の方が多い(「世界と日本のムスリム人口 2011年」、『人間科学研究』、第26巻第1号、29-39頁、2013年)。

では、問題はベルギー当局の側にあったのだろうか。