なぜイスラーム国の「過激思想」に吸い寄せられる人が後を絶たないのか

テロの連鎖を食い止めるために
末近 浩太 プロフィール

「ぐれ」の一形式としての「イスラーム国(IS)」

貧困や差別・偏見に苦しむ人びと、そして、そうした苦しみから社会や世界に強い恨みを持つようになる人びとは、残念ながら、モレンベーク以外にも、また、ムスリム以外にも大勢いる。

絶望した人間が自暴自棄になったり、自己承認を得るために何か大きなことをしたくなったり、犯罪に手を染めたりすることは、決してめずらしい話ではない。

つまり、「ぐれ」る人びとは、古今東西どこにでもいるのである。

ここで問題となるのは、どのように「ぐれ」るのか、である。その「ぐれ」方には、不良になったり犯罪を起こしたりするだけでなく、暴走族や反社会的組織、さらにはマフィアやギャングのメンバーになるなど、さまざまなバリエーションがあり得る。

端的に言えば、今日の欧州において、ISの「テロリスト」になることは、「ぐれ」方の1つになっている。そして、それは、実際にテロを起こすことで、着実に存在感を強めつつある。

捜査当局によれば、今回の事件の容疑者たちの多くも、「テロリスト」になる前に「ぐれ」た経歴を持つ。貧困や差別・偏見が根強いモレンベークでは、「ぐれ」の予備軍は他の地区や街に比べて多いのかもしれない。

しかし、モレンベークは「ぐれの温床」であっても、それだけでは「テロリストの巣窟」と呼ぶことはできない。犯罪とテロリズムのあいだには大きな隔たりが存在するからである。

つまり、ある人が「ぐれ」る動機を持ったとして、なぜ数あるバリエーションのなかからISの「テロリスト」を選んでしまうのか、疑問が残る。

ISの反権威・反思想

この疑問に対する答えの1つが、彼らがムスリムであったからである、というものであろう。そこには、先述のように「ムスリム=テロリスト予備軍」という暗黙の前提が見え隠れしているが、確かに、ISがイスラームを奉じている以上、一定の説得力はある。

しかし、ISに参加するためにムスリムに改宗するケースがたびたび報じられてきたことも見逃せない。こうしたケースにおいては、ISに倣って「ぐれ」ることが最優先であり、ムスリムへの改宗はマフィアやギャングのメンバーになるためのイニシエーション程度にしか捉えられていない可能性もある。

さらに大きな問題は、ISの「過激思想」がそもそもイスラームと呼べるものなのか、あるいは、思想的な実態をともなっているのか、という点である。結論から言えば、その「過激思想」には、イスラームの伝統的な知からの断絶ばかりが目立ち、体系的な思想と呼べるようなものは見当たらない。

たとえば、イスラーム法の分野には、伝統的な法学派というものがあり、数世紀にわたってクルアーン(コーラン)を中心とした法解釈のための知の体系を築き上げてきた。そこには、ムスリムは何をすべきか、何をすべきでないのか、特別な訓練を受けた専門家(法学者)が丁寧かつ慎重に判断するというルールがある。

対照的に、ISの「過激思想」と呼ばれるものに存在するのは、敵味方を峻別するだけの単純な二項対立的な世界観と「敵」と戦うための手段や方法であり、また、それらを表現した映像や画像などのイメージだけである。

むろん、そのイメージの持つ力は過小評価できない。むしろ、これこそがISの戦略であり、思想の体系化ではなく表層的なイメージの拡大・浸透にひたすら注力することで、既存の道徳や倫理に背を向けるマフィアやギャングに似た「ぐれ」の一形式を提示しようとしている。