田原総一朗が回顧する60年安保の真実「私は何も知らずに"岸はヤメロ!"と叫んでいた」

「戦後レジームの正体」第11回(後編)
田原 総一朗 プロフィール

イメージを悪化させた警職法改正案

私のように、吉田安保と岸安保を読みもせずにデモに参加した人間も少なくなかったとは思うが、少なくとも社会党議員の幹部たちは、吉田安保と岸安保の違いを熟知していたはずである。

それにもかかわらず、なぜ安保改定阻止となったのか。

そのきっかけとなったのは、58年秋に、岸内閣が国会に提出した「警察官職務執行法(以後、警職法)の一部を改正する法律案」であった。

当時の警職法は、48年の占領時代に制定されたもので、GHQの日本弱体化の方針に基づいて、「民主警察」の謳い文句で警察の権限が極力縮小されていた。

岸にとっては、独立国家にはふさわしくない、社会公共の安全を守るためには不都合な時代遅れの法律だったのである。岸は、近い将来に憲法改正を考えていて、そのときに起きるであろう反対闘争を、現在の警察力ではとても抑えられないと予測して、警職法の強化を図ろうとしたのだ。

そして、この警職法の「改正」に、社会党、共産党、さらに総評、全学連などが猛然と反対して、国会運営が困難になる騒動となった。

治安維持法の復活や、庶民の日常生活が監視されることが懸念され、そして「デートもできない警職法」が、反対闘争のキャッチフレーズとなった。

ホテルでのデートの枕元で警官が臨検することになるというのである。

警職法改正案は、岸のやり方が強引だったためか、野党だけでなく自民党の反主流派、非主流派までが、野党に連動するように岸を揺さぶり、ついに58年11月22日に審議未了、廃案となった。

そして警職法改正案によって、岸こそは、戦前の治安維持法の復活を狙う「反動政治家」、いってみれば「悪の権化」だというイメージが強まり、その岸が目論む「安保改定」は「改悪」にちがいないということになったのである。