田原総一朗が回顧する60年安保の真実「私は何も知らずに"岸はヤメロ!"と叫んでいた」

「戦後レジームの正体」第11回(後編)
田原 総一朗 プロフィール

労組、全学連を巻き込んだ歴史的な大闘争

ところで、岸首相たち全権団が、1月16日に羽田空港を出発したとき、羽田空港周辺は全学連の学生や労組の人間たちで埋め尽くされていた。岸首相たちの訪米を阻止するためである。

社会党、共産党、そして日教組、国労、動労など総評(日本労働組合総評議会)の強力部隊が、安保改悪阻止で大同団結していたのだ。そして、実は私も岩波映画という会社の新入社員だったが、先輩たちと安保改悪阻止のデモ隊に連日のように加わって、「安保反対、岸はヤメロ」と連呼していたのである。

恥ずかしい話だが、岸首相によって安保が改定されると、日本はアメリカの戦争に巻き込まれることになると思い込んでいたのだ。

岸は東条内閣の商工相でA級戦犯として逮捕された。そして東条英機たちA級戦犯7人が処刑された、48年12月23日の翌朝、児玉誉士夫や笹川良一たちと一緒に釈放された。安保改悪阻止のリーダーたちは、この釈放の際に、岸はアメリカと密約があったに違いない、それは日本がアメリカの戦争に参加するということで、だからこそはやばやと政界に復帰できたのだ、とまことしやかに話し、私たちは確認らしき作業もせず、その話を信じていたのである。

リーダーたちは、鳩山内閣の重光外相の安保改定交渉は、アメリカの戦争に参加するという前提がなかったのですげなく断られたのだとも説明した。もちろん、反安保闘争が広まった背景には数々の反基地闘争やジラード事件などによる強い反米感情があった。

ここでさらに恥ずかしいことを告白しておく。

私は「安保改悪反対」「岸はヤメロ」とデモ隊の中で連呼していながら、実は、吉田首相の最初の日米安保条約も、岸首相が改定した安保条約も全く読んでいなかったのである。

60年反安保闘争の全学連のリーダーの一人であり、その後国立大学教授になった人物と、後に話し合ったことがある。実は、彼も吉田安保も岸安保も読んではおらず、元A級戦犯の岸はアメリカとの密約があって釈放された、と思い込んでいたのだといった。そして、全く恥ずかしいかぎりだということで一致した。

それにしても、そもそも吉田安保が不平等きわまりないとして、安保条約の「改廃」を強く求めたのは、鈴木委員長をはじめとする社会党だったのである。

そして、安保条約はあきらかに改善されたのだが、その社会党が、なぜ安保改定阻止闘争の先頭に立って戦うことになったのか。なぜまるで正反対の主張をすることになったのか。しかも、多くの労組、そして全学連が参加して、日本を揺るがす、そして歴史に残る大闘争となったのである。