日本人にとって「君が代」とは何か? ネットにあふれるトンデモ解釈

劣化する論争に終止符を!
辻田 真佐憲 プロフィール

そもそも、「君が代」が作曲された当時、列強の君主国では基本的に君主讃歌を国歌として使っていた。新参者である日本も、これに倣ったと考えるのが自然である。

やや信憑性に欠けるものの、大山巌(当時の薩摩藩砲兵隊長)が英国国歌「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」を参考にして、「君が代」の和歌を国歌の歌詞として選んだという証言もある。少なくとも、戦前期に「君が代」が天皇讃歌だったことはまったく疑いえない。

なるほど、戦前期の歴史をまったく無視するという考え方はあるだろう。江戸時代以前に「君が代」という和歌の「君」が、単なる「あなた」として解釈されていた歴史はある。だから、江戸時代以前と戦後日本を直結させれば、「君が代」=ラブソング説を唱えることも不可能ではないかもしれない。

だが、「君が代」が作曲され、国歌として採用された戦前期の歴史をまったく無視することは果たして妥当なのだろうか。そもそも、「君が代」の支持者たちの多くは「愛国」「保守」を自任していたはずである。とかく先人の苦労だの、先人への感謝だのを強調する彼らが、戦前期の歴史を自分勝手に切り貼りするのでは整合性がつかない。

少し調べればわかることだが、従来保守派や右翼などと呼ばれたひとびとの多くは、「君が代」を天皇讃歌として擁護してきた。近代の日本人は、西洋列強の帝国主義に対抗して、立派な国作りを行った。大日本帝国はこうした努力の結果、ついに一等国になり、国際連盟の常任理事国にもなった。戦前期は、先人の苦労と栄光の歴史であった。

だが、大東亜戦争に敗北したために、その歴史は一転して「戦後民主主義」の教育によって汚されてしまった。ゆえに、かつての誇りある日本の歴史や文化を取り戻さなければならない。天皇讃歌である「君が代」斉唱の復活も、またそのひとつである――。彼らのロジックは、簡単にいえばこうだったはずだ。

つまり「保守」を自任するものが、戦前期の歴史を無視するなど本来ありえないことなのだ。ことほどさように、「君が代」=ラブソング説はでたらめである。まして、「誇りある戦前の歴史」を肯定的に評価する者にとってはなおのことである。

「君が代」に関する乱暴な議論はほかにもたくさんある。ドイツで催された国歌コンクールで、「君が代」が優勝したなどという「都市伝説」もそのひとつだ。ただ、再び強調するが、以上の「君」の解釈はそうした珍説の最たるものとして位置づけられるだろう。