日本人にとって「君が代」とは何か? ネットにあふれるトンデモ解釈

劣化する論争に終止符を!
辻田 真佐憲 プロフィール

ネットにあふれるトンデモ「君が代」解釈

さて、歴史を振り返れば明らかなように、自民党(の特に「タカ派」とされる)政権はこれまで「君が代」斉唱を熱心に推進してきた。その結果、2002年に公立の小中高校の卒業式における「君が代」斉唱の実施率は、ほぼ100%に達した。

それゆえ、国会質疑の発端こそ他党の議員とはいえ、現在の安倍政権が、次なる目標として国立大学に狙いを定めてきたのもそれほどふしぎではない(もちろん、「大学の自治」の原則があるため、小中高校の事例はそのまま大学に当てはめることはできないが)。

ただ、ここで問題にしたいのは、ネット上の乱暴な議論である。こちらは、歴史的に見てかなり異様な様相を呈している。

その最たるものが、「君が代」の「君」をめぐる解釈だ。

ネット上では、プロフィール欄に「保守」「愛国」などと記す者の多くが、実に珍妙な「君が代」解釈を支持している。それは、「君が代」の「君」が単に「あなた」を意味するというものだ。

いわく、「君が代」は「あなた」の平穏無事を祈る平和的な歌であり、いわば「ラブソング」である。それゆえ、軍国主義でもなんでもない。左翼の批判はまったく的はずれだ、と。こうした解釈は、SNSや動画サイトのコメント欄などで無数に確認することができる。

以下は、ネット上で出回っている「君が代」の現代語訳と称するものである。初出は不明だが、参考として引用しておく(なお、細かく見れば、この「現代語訳」にはほかにも問題があるのだが、ここでは「君」に問題をしぼる)。

だが、現在の国歌「君が代」を考えるとき、天皇の存在を無視するのはまったくナンセンスである。「君が代」は1880年ころ作曲され、1893年ころより事実上の国歌として唯一無二の存在となった。この「君が代」が天皇讃歌だったことは論をまたない。

「君が代」は、小学校の祝祭日の儀式において、天皇皇后の写真に向かって歌うものとされた。国定教科書でも、明確に天皇讃歌であると説明された。「君が代」作曲に深く関わったお雇い外国人エッケルトが、ドイツ人向けの雑誌で「君」を「Kaiser」(皇帝)と説明している例もある。