第1回はこちらからご覧ください。
向田: 真理子さんの子どもの頃の話を聞いてみたいな、と。
朝吹: 子どもの頃。うーん、写真を見返すとかなりおちゃらけた写真ばかりあるのだけれど、根本に「明るい諦念」があったと思う。ネガティブではないのだけれど、生きて消える宿命の諦念がしみ込んでいる。どうしようもないから、楽しく生きるしかない、という。自分の人生はいつなくなってもいいな、と思っていました。
鉱物の雲母がすごく好きだったの。雲母の好きなところは、薄くて、はがれてすぐに形体が崩れて、あったものが散り散りになって、光とか埃みたいなものになって消えていってしまうところ。そういう感じで自分の身体も磨滅して、光の塵のなかに混ざっていって、キラっとさせるかたちでどこかに行ってしまったらいいな、と思っていた。
自分がいなくても絶えず世界はある、そのことを祝福したいから、自分があるということが窮屈だった。だから光の粒になってサッと流れついていきたいと思っていたの。今はちょっと生きることへの欲望があるのだけれど。
時間の川が流れのうえで、人類は瞬間的な存在ですよね。いずれそう遠くない未来に滅びるでしょ。さらに私個人の人生なんて、ほんの一瞬の点でしかない。でも、その点が続いていって、歴史の線を今描いていることは美しいとも思います。
向田: 一瞬の美しい光が目に浮かんだよ。それは何歳くらいにイメージしたの?
朝吹: 3~4歳くらいの時かなあ。まだ時計が読めなかった頃。時計を読めるようになったのがすごく遅くて、時間があることはわかっていたけれど、時計がわからなかった。人間には、時計的に生きる時間とはべつの時間がある。ときどき、裂け目のように生の時間が飛び出してくる感覚があって。