ほめられたら要注意!? 京都人の「ウラとオモテ」を楽しむ

世界の中心は「京都御所」
週刊現代 プロフィール

京都人が言うことには、ウラの意味があるから信用できない——。有名な「ぶぶ漬け」のエピソード(京都の家を訪れて「ぶぶ漬け、いかがどすか?」と言われたら「長居してないで帰れ」の意味)のせいか、そんなイメージがすっかり定着して久しい。

前述の『京都ぎらい』の中で井上氏が書いている「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」というのも、紛れもなく、よそ者に対する「いけず」だ。

今回、京都人から聞いた「いけず」の実例をもう少し挙げてみると、

「まあ、きれいなネクタイしてはるなあ」
→「派手なネクタイして、あんた何考えてんの」

「何を着ても似合わはりますなあ」
→「そんな格好して、恥ずかしゅうないんかい」

料亭などで、うんちくを垂れる客に「お客さん、よう知ってはりますなあ」
→「つまらんこと言わんと、黙って食べたら」

子連れの親に「まあ、元気のええお子さんやな。子供は元気が一番や」
→「静かにさせなさい。どんな躾してるんや」

京都の外から移住してきた家の庭先を見て「きれいにしてはりますなあ」
→「毎朝掃除せんかい。草ぐらいむしれ」

などなど。彼らはこうした「いけず」をニコニコしながら言ってのけるので、勝手を知らぬ非・京都人は、思わず「ありがとうございます」なんて返してしまう。しかし、おそらくこの瞬間、目の前の京都人の目はまったく笑っていないはずだ。前出の佐々木氏が続ける。

「こういう言い回しは、よその方には分かりにくいでしょうし、人によっては『嫌味を言われた』と受け取るかもしれません。でも京都人からすると、あくまで相手を気遣っているがゆえの社交術。『察してください』ということなんです」

しかしながら、佐々木氏も認めるとおり、こうした言い回しはヘタをすると相手を怒らせるばかりか、怒りを増幅することもあり得る。

「褒めたふりをして嫌味を言うとは、失礼な」

「率直に言ってくれた方が、まだマシだ」

と、「いけず」の洗礼を受けた非・京都人が思ったとしても、文句は言えまい。事実、非・京都人にはそう感じている人が少なくないからこそ、「京都=いけず」というイメージが定着したのだろう。

いけず=パリのエスプリ

ではなぜ、それでも彼らは「いけず」を言わずにいられないのか。背景には、やはり京都の「都」としての来歴があるのではないか、と言うのは、京都市出身の歴史作家・金谷俊一郎氏である。