いまさら聞けない「集団的自衛権って何ですか?」〜日本の常識は世界の非常識だった…

伊勢崎 賢治 プロフィール

2001年の9.11同時多発テロで、アメリカは「本土攻撃」された。実行犯アルカイダを囲っていた、当時のアフガニスタンのタリバン政権に、「個別的自衛権」を根拠に報復したのが、現在も続く「テロとの戦い」の始まりである。

個別的自衛権で、何千キロも離れたところに出かけて行って、その敵を殲滅し、占領統治までできる。これが国際法でいう個別的自衛権だ。

さらに、9.11の後、同じように多くのムスリム人口を抱えているNATO(北大西洋条約機構)諸国が、「明日は我が身」ということで参戦、今に至る。

つまり「脅威の共有」での参戦が根拠とするのが集団的自衛権。脅威を、喫緊に、そして明確に共有するか否かが焦点だ。だからこそ、国連安保理が、“いやいや”だが、国連安保理の許可なしで加盟国が行使できる“固有の権利”として、個別的自衛権と共に認めているのだ。

つまり、個別的自衛権と集団的自衛権は、対立概念ではなく、一つのパッケージなのだ。そしてこのパッケージの行使が許されるのは、国連安保理が集団安全保障をやるまで。つまり、国際法の考え方は、こうである。

 軍事同盟と集団的自衛権はどう違う?

これに加えて、もう一つ日本人を混乱させるものがある。集団防衛(Collective Defense)。NATOのようないわゆる軍事同盟だ。集団防衛と集団的自衛権、似ているので専門家でも混乱する。

集団防衛とは、いわば“ミニ国連”だ。PKOのような集団安全保障への参加は、国連加盟国としての“組合の義務”。それと同じような感覚で、一つの組合国に与えられた攻撃は組合全体のものとみなすという契約。これが軍事同盟である。義務といっても、組合を脱退する自由が付随する“義務”。繰り返すが、集団的自衛権は“権利”だ。

こういうふうに、国連とは別の“組合”をつくる根拠は、国連憲章第8章、「地域の取り組み」ということで奨励されている。個別的自衛権と集団的自衛権の“いやいや許可”と同じように、安保理が地球上で起こるすべて問題を一手に背負うのも無理がある、地域でミニ国連をつくってまず対処してね、ということだ。

でも、そのミニ国連が何かする時には、事前に安保理の許可が必要になる。あくまで安保理は世界の王様でいたいのだ。

この集団防衛が、いわゆる「他国防衛」である。集団的自衛権は、そうではない。すでに述べたように、共通の脅威を、喫緊に、そして明確に共有するか否かが必要条件。集団防衛は、そうでなくても、“契約”として、そう見なす。

9条が禁止しているのは、たぶん、「集団的自衛権」ではなく「集団防衛」の方である。