「相撲は国技」はフィクションだ〜そこにひそむ「ナショナリズム」の正体とは?

琴奨菊フィーバーから考える
森田 浩之 プロフィール
〔PHOTO〕gettyimages

外国人なしに「国技」は成り立たない

大相撲における大鵬の通算優勝記録をめぐる一件は、プロ野球で王貞治のシーズン最多本塁打55本の記録(1964年)がなかなか破られなかった歴史に似ている。

ランディ・バース(1985年、54本)、タフィ・ローズ(2001年、55本)、アレックス・カブレラ(2002年、55本)という3人の外国人選手があと一歩まで迫ったが、シーズン最終盤に相手投手に勝負を避けられるなどして記録更新にはいたらなかった(2013年にウラディミール・バレンティンが60本というぶっちぎりの記録で更新したが)。

ここで注目しておきたいのは、大鵬はウクライナ人とのハーフであり、王貞治も国籍は日本人ではないということだ。ナショナルスポーツの聖なる記録とされてきたものが、いかに「日本」というフィクション(虚構)のうえに成り立ってきたかがわかる。

日本人力士の「暗黒の時代」を経たあとにようやく巡ってきた琴奨菊の優勝を、メディアが「日本出身力士10年ぶりの優勝」と騒ぎ立てたのは無理もないのかもしれない(ちなみに、「日本人力士」の10年ぶりの優勝ではなく「日本出身力士」という面倒な表現をするのは、モンゴル出身の旭天鵬が日本国籍を取得したあとの2012年5月場所に優勝しているためだ)。

しかし、この報道姿勢にはSNSなどで賛否両論が出た。違和感を持った人々の言い分は──

〈ことさら日本出身力士であることを重視するのは、国粋主義〉
〈ヘイトスピーチのように露骨で悪意あるものではないにせよ、この騒ぎ方は外国人力士への一種の差別〉

といったものだ。

その一方で「日本人が日本人を応援して何がいけない?」というお決まりの擁護論もあった。

〈差別などではなく、どこの国の人でも持っている祖国愛だろう〉
〈甲子園野球で気がつけば地元代表を応援しているのと同じことではないか〉

新聞の投書欄などでは、これらの声をバランスよく並べ、一見して健全な議論が行われているかのような体裁がつくられていた。しかし「10年ぶり」と連呼したメディアも含め、どの立場の人たちも現実についていけていないようにみえる。

テレビの大相撲実況を見ていればわかることだが、日本の「国技」はもう外国人の支えなしには成り立たない。それは動かしがたく、隠しようのない事実だ。