「相撲は国技」はフィクションだ〜そこにひそむ「ナショナリズム」の正体とは?

琴奨菊フィーバーから考える
森田 浩之 プロフィール

外国人力士の道を切り拓いた高見山

「国技」といわれる相撲だが、外国人力士が参加した歴史はけっこう古い。1891年(明治24年)には「佛國(フランス)力士關王繁仙」、あるいは「米国の力士關王、繁仙」が相撲興行に出ていたという記録がある。

大相撲が現在のようにプロ化して以降、外国人力士として初めて広く認知されたのは、ハワイ生まれのアメリカ人である高見山だろう。

高見山は1964年3月場所に初土俵を踏み、68年1月場所に入幕した。生涯成績は812勝842敗22休。1972年7月場所では、13勝2敗の好成績で外国出身力士としては初の幕内最高優勝を遂げた。

高見山は、その人なつこそうな風貌も手伝って、日本の相撲ファンに愛された。現役時代の最高位は東関脇だったが、テレビCMに多数出演したことから「CM横綱」の異名をとった。

なかでも最も有名なのは、ふとんメーカーである丸八真綿のCMだろう。「2倍、2倍」という高見山のセリフは、当時の流行語にもなった。

高見山は1984年の5月場所中に引退を表明した。「40歳まで相撲をとりたい」と口癖のように言っていたが、そのとき高見山は39歳11カ月。今でこそ40歳を越えて一線で活躍するアスリートは珍しくないが、32年前の当時はレジェンド中のレジェンドだったろう。

高見山がレジェンドといえるのは、年齢のことだけではない。彼は外国出身力士が日本の大相撲で活躍する道を切り開いた。日本に置き換えれば、ちょうど野茂英雄がメジャーリーグでのちの日本人選手に道筋をつけたのに似ている。

ただし高見山が野茂と違っていたのは、あとに続いて日本にやって来た同胞が自分ほど愛されなかったことかもしれない。