プロ野球からノンプロへ
〜正田樹、河原純一……男たちの葛藤と、再出発の物語

週刊現代 プロフィール

'02年にドラフト1位で巨人へ入団し、その後、横浜や台湾リーグでプレーした真田裕貴(32歳)。'14年オフにヤクルトを戦力外になった真田は、同年にBCリーグ・福島ホープスへと移籍し、今季からは福井ミラクルエレファンツで選手兼投手コーチを務めることが決まっている。

名セットアッパーとして一時代を築いた真田は、野球人生の再構築のために、BCリーグへとやってきたという。

「30歳でヤクルトをクビになり、このまま現役にこだわり続けるべきなのか、迷いがありました。肉体的な衰えは感じていないし、まだプロで通用するという自信もあった。でも、たとえ現役を続けたとしても、いずれは必ず終わりがくる。30歳は節目の年齢。プロの現役にこだわり続けていれば、辞めたときに何も残らない人間になってしまうのではないかという不安があったんです」

野球を辞め、まったく違う道へと進むという選択肢も考えた。しかし真田は、18歳でプロ入りして以来、野球だけに生きてきた男。やはり選んだのは、どんな形であれ、野球に携わることのできる人生だった。

「そんなとき、BCからもらったのがコーチ兼任という話でした。できることなら将来は指導者として野球に関わりたいと考えていたので、ありがたかったですね。プロの華やかな世界を見てきてしまっているので、兼任ではなく選手だけでという話だったら、断っていたかもしれません。

いまは、プロにいたときより、モチベーションが高いです。何とかして這い上がろうとしているハングリーな若手選手から、改めて野球への情熱を思い出させてもらっている。ここで勉強して、いつかコーチとしてプロの世界へ戻る。それがいまの僕の目標です」

野球が教えてくれたこと

ノンプロの世界から再出発を切る決意をしたのは、真田だけではない。巨人や中日でストッパーとして活躍した河原純一(43歳)は、'12年から在籍した四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツを昨季限りで引退。今年1月から、パイレーツの親会社でサラリーマンになった。

河原が語る。

「僕の考えはシンプル。採ってくれる球団があるかなんてことは一切考えず、まだやれるという気持ちが続く限り、現役を続けてきた。中日を戦力外になった後も、まだやれると思ったから愛媛に移籍した。でも、それもいよいよ限界が来た。独立リーグ特有の長距離バス移動がこたえたんです(笑)。腰が固まっちゃって、投げるとすぐに身体を痛めてしまった。

そこで、身を引くことにしました。投げられない選手がベンチにいるのは、独立リーグの存在意義に反しますしね。嫌というほど野球ができたので、悔いはありません。