真のイノベーションは「トリセツ無視」から生まれる
~音楽界に訪れた「歴史的瞬間」

ある日、レコードプレーヤーは楽器になった
原 克

マニュアルを介さず機械と向き合う

これまでレコードプレイヤーはもっぱら音響再生機器だと信じられてきた。しかし、「これ、いろいろ使えるゼ」――この瞬間、たんなる再生装置が、みずから音を発信する楽器に変身した。

純粋なデータ保存メディアでしかなかったものが、発信メディアになったのである。レコードプレイヤーの哲理が、再生(Re-produktion)から生産(Produktion)へ歩を進めたのだ。

しかも、その進化は、レコードプレイヤーの公認された機能的範囲内において、なされたのではなく、機能的範囲を破壊することによって、あたらしい次元に進んだのであった。

レコードプレイヤーの公認された機能的範囲とは、なにか。それは、電子製品レコードプレイヤーの「取扱説明書」が限定し、規制し、公認している機能性のことだ。

「スイッチが正しい位置にあるか確認してから、次の手順にお進みください。取扱説明書通りにお使いにならないと機材が正常に起動しない恐れがあります」

つまり、ブロンクスの黒人青年たちは、レコードプレイヤーを操作するにあたって、添付されていた取扱声明書の指示に一切したがうことなく、思いのままに手を入れ、勝手に操作し、およそ遊び半分と言われてもしかたがないような、放埒なやり方で機材を手玉に取ったというわけだ。

まあ、大抵は街路からひろってきたものだから、そもそも取扱説明書などもはや付いてはいなかっただろうが――。

取扱説明書のとおりに操作するのではなく、それを無視して機械に面と向かう。

マニュアルを介さず、壊れかけのレコードプレイヤーと、じっと対面しているうちに――無一文からくる思いきりのよさゆえか、教養あふれる白人中流階級的中庸とは無縁だったせいか、小市民的倫理観の欺瞞に飽き飽きしていたせいか、いずれにせよブロンクスの現実性ゆえに――「レコード盤上で針を壊れるほど擦りつける」「レコード盤を逆方向に回転させる」「レコード盤の回転速度を指で変えてしまう」。

こうした仕儀に走っていったのであり、そのうえ、そうした偶発的な試みを、くりかえし、つみあげ、くみあわせてゆき、最終的にはひとつの操作スタイルとして確立してゆくことになったのである。

ユーザーは技術者が望むように振る舞ってしまう

1970年代ヒップホップの黎明期を総評して、ドイツの表象文化論者ウルフ・ポーシャルトは、次のように言っている。

「これって、技術をレイプするってことだ」

「技術をレイプする」――。表現としては市民的穏当さを欠くかもしれぬが、その真意には首肯させられるところが多い。