長寿社会における「死ぬ力」とはなにか——哲学者が真剣に考えてみた

クリスティは、第二次大戦でイギリスがナチスドイツ軍の猛攻を受けるなか、「遺書」のつもりで、彼女の死後出版してほしいといって、ポアロもの『カーテン』とミス・マープルもの『スリーピング・マーダー』を書いた。

二作品は、30年余後に日の目を見るが、彼女自身の「死」に臨んだもの、さらには人間の死一般にかんする鋭いセンスに満たされたもの、として読む(解釈する)ことができる。それに、引退を決めたポアロが最後にと思って引き受けた事件を集めた『ヘラクレスの難業』(ヘラクレス=エルキュール)他、ミステリには「死」が満載なのだ。

3 ポアロは『カーテン』で「自死」する。そのポアロは、じつはシャーロック・ホームズと同時代人(あるいはポアロのほうが年上という説もある)である。超高齢で、自分の生をどのように閉じることができるのか、それが『カーテン』の主題だ。「閉幕の思想」である。ハイデガーにない問題意識だ。

ポアロの「死ぬ力」が試される。ま、「深読み」かも知れないが、「自殺」も「殺人」である、という意味もここで語りたかった。さらにいえば、「なぜ人を殺してはいけないのか?」に続く問題だ。

それにしても、「死」というと、なんだかしかめっ面になる。愉快とはいわないが、快活に論じたい。そう思ってきた。ミステリの多くは、「死」に過剰な思い入れをする。クリスティも例外ではない。たしかに、今日、家族が縮小し、「死」はまれにしか出会わなくなった。「死」を過剰に見がちになる。

しかし、死は、戦時も平時も、古今東西、無数にある。問題は、個々の死とともに、人間に共通な死(の力)を見極めることだ。そこにどれだけ接近できたか、……。

読書人の雑誌「本」より