日本の犯罪報道、ここがヘン!〜だから、治安がいいのに「犯罪不安」が止まらない

牧野 智和 プロフィール

事件を「消費」する欲望を解除する

さて、整理をしたいと思います。日本では、いわゆる5WIH、つまり事件がいつ、どこで、誰によって、誰に対して、なぜ、どう起こったかという点を限られたスペースに一挙投入し、事件の発生・逮捕ばかりが次々と報じられる傾向が強くあります。

米英に比すと、事件のひとまずの最終的な決着といえる司法の場での対応を報じる傾向は弱く、ただ「沢山の事件が起こっている」ことのみが私たちの記憶に残る傾向があるのではないでしょうか。

国際的にみても比較的治安がよいといえる日本において犯罪不安が高止まりしているのは、こうした報道の傾向と関係があるかもしれません。実際、日本は国際的にみて犯罪被害率が低いにもかかわらず、治安への不安度が高いという調査結果もあります(総務省『情報通信白書』平成21年版など参照)。

一方、アメリカではよりニュース・ストーリーに重きを置き、一つの事件に多くの字数を割いて現場の状況、関係者の証言、事件が起きる背景が多面的に報じられる傾向があります。

また、両国とも(特にイギリス)「裁判・収監・釈放」に関して、日本よりも強い関心を払っており、事件発生以後の状況が広く伝わるようにもなっています。そして事件の動機を心の問題に収めるのではなく、人種差別問題、警察の捜査方針の問題など、広く社会問題へと展開していく姿勢もはっきりみることができます。

単純にアメリカやイギリスの報道が素晴らしいといった持ち上げをしたいわけではありません。ただこれらは、私たちが当たり前のように事件の動機に関心を持ち、それを何よりも知りたいと思う心性は、住む場所が異なれば「当たり前」ではないのかもしれないと気づくきっかけになるものだと思います。

また海外の事例は、判決を経るまではあくまで「容疑者」であるにもかかわらず(推定無罪原則)、日本の報道では特に事件の発生・逮捕ばかりが報じられるという傾向を客観視することができ、日本のメディアが過剰な「社会的制裁」を行っていること(その情報の消費者として私たちもそこに加担していること)にも気づかせてくれます。

前回は、衝撃的な少年事件が起きた際の「心の闇」にはまり込まないための多様なアプローチについて考えましたが、今回はそもそも、犯罪一般について、今私たちが向き合っているあり方とはもっと異なるあり方があるのではないかと考えてきました。

もし、私たちの社会の犯罪不安を過度に高めない道筋があるとすれば、これは報道側の問題でももちろんありますが、事件の発生や逮捕、あるいは動機の詮索を焦点とする報道は「当たり前」ではなく、またそうした情報を求める欲望もまた「当たり前」ではないとして、私たち自身がそれらを冷静に見直し、それらなしでも社会は成立すると気づくことから歩まれるものだとはいえないでしょうか。

牧野智和(まきの・ともかず)
大妻女子大学専任講師。1980年東京都生まれ。2009年早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学 博士(教育学)。著書『自己啓発の時代――「自己」の文化社会学的探究』(勁草書房)、『日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ』(同)。