関東大震災の真実に涙が止まらない!~90年間”抹殺”されていた「奇跡の物語」

全壊の横浜刑務所で何が起きたのか
牧村 康正 プロフィール
父・積賢治(せきけんじ)(前列中央。昭和27年、豊多摩刑務所の用度課長当時)

女性が刑務所の治安の支えた

二村椎名さんは「囚人に縄と鎖は必要ない」と考えて、信頼に基づいた管理を積極的に推し進めたから、震災で解放された囚人たちは椎名さんの信頼に応えて悪事を働くこともなく、つぎつぎに横浜刑務所へ帰ってくるんですね。その後、市内の復旧作業に尽力する。

その解放囚の中でも、河野和夫という人物が特に印象に残りました。お客さんにお薦めする時に河野さんの話をするんです。外国航路の船員で、本当は船を下りてすぐ遊郭へ、なじみの女郎さんのところに行くつもりやったのに、その途中、ほかの船員と喧嘩して捕まってしまう。

でも、解放された後に、まっさきに女郎さんの安否を気遣い、まだ火煙が立ち上る焼け焦げた遊郭に向かう。そこが男の人っぽいというか。でもその後、右往左往する県職員や市民をよそに、てきぱきと統制のとれた動きで一生懸命に救援物資の荷揚げ作業をしたというのは、やっぱり凄い。

日本の船長や船員さんは船が沈んでいく時でも最後まで人命救助をするイメージですけど、そういう人を勝手に想像してしまいます。坂本さん、この船員さんの話も、本当なんですか。

坂本:もちろん実話です。情報源は横浜刑務所の所長に着任していた倉見慶記(くらみけいき)さんが紹介してくれた先輩刑務官たちです。倉見さんはうちの親父と幹部養成研修の同期生で、昭和47年の8月、横浜刑務所の会議室に震災当時の生き証人たちを集めて座談会をやってくれたんですよ。

倉見さんは退官後61歳で亡くなるんですけど、私は、倉見さんのお嬢さんとは小学校、中学校で同級生でしたから日誌を何冊か預かっています。その日誌にもいろいろと記録が残っています。

二村永峰という司法省の役人が出てくるじゃないですか、いらんことを吹き込んで、かき回す悪い人が。デマを流して、不始末をでっちあげて椎名さんの足を引っ張って。大規模な解放は前例がなかったことやし、不測の事態が起きれば連帯責任を問われるからでしょうけど、もう永峰の名前は忘れませんわ(笑)。でも現代社会でもありそうなことですけど……。

坂本:私たちの時代はもっと露骨ですよ。偏差値が幅を利かせ、学校から職場から全部競争になった。同僚同士で足を引っ張り合い、上にはゴマをする。幹部は2~3年の着任期間ですから新しいことはやらない。前例を破ってトラブルを起こしたら一発で左遷ですから。お役人の社会は無事故で転勤することが出世の鍵なんですよ。

二村椎名さんへの忠誠と、己の保身の板ばさみで思い悩む横浜刑務所の幹部に活を入れ、瓦礫と化した所内で椎名さんの後押ししたのは、官舎の台所を預かる妻たちでしたね。刑務所全体が家族であるために、奥さんたちがしっかりサポートしてはる感じですよね。だから椎名さんも志を遂げることができたんじゃないでしょうか。

坂本:日本の刑務所は独特で、外国とは違います。たとえばアメリカはガードマンと処遇官をはっきり分けています。処遇官は囚人と会って話をしたり面倒を見たりするんですが、ガードマンは警備だけです。だから銃も持っています。しかも、刑務官は、刑務所から何十マイルも離れたところに棲んでいる。

日本の刑務官は、処遇と警備の二役をこなすんです。そのうえ、刑務所の敷地内に官舎があって、刑務官はそこに家族とともに暮らしています。これ、じつはとても大事なことです。塀の中の「密室」の世界で、絶対的な権力を持っている看守側が、囚人に対して、それを一方的に振りかざして、いじめることを未然に防いでいる。

出所後、お礼参りに来られたら家族が被害者になる――妻子が担保になっているからといえば、あんまりですが、日本の刑務所が囚人の人権を守っていたのはそんな工夫もあったからだと思います。この小説でも、刑務官の妻たちが果たした内助の功を見ればわかるとおり、刑務所の治安の支えとして女性が重要な役割を果たしています。