『あさが来た』感動のラストが近づいてきた!「史実の広岡家」はその後どうなったのか

週刊現代 プロフィール

じつは、広岡浅子と一人娘・亀子の母娘関係にも、ドラマのような側面があった。前出・和治氏が明かす。

「曾祖母の浅子は、それは怖いお婆さんだったそうですが、祖母の亀子は浅子とは全く違う、女性らしい人柄でした。浅子のように事業に手を出すことはせず、婿養子を迎えて家庭に入り、一生を穏やかに送ります。

ドラマの中で千代さんは京都の女学校に行っていますけれど、亀子も京都府高等女学校に進学しました。それだけでなく、亀子は広岡の家より、むしろ母方の実家である三井家のほうを身近に感じていたという逸話が残っています」

ドラマでは描かれていないが、浅子の夫である史実の広岡信五郎には、むめという側室がおり、亀子とは別に1男3女の4人の子供をもうけていた。劇中では千代はあさより父・新次郎を慕っているが、史実の亀子が、腹違いの弟妹に囲まれる生活で父に対して複雑な気持ちを抱いたとしても不思議ではない。

とはいえ亀子は、親に反抗するような激しい性格の持ち主ではなく、良家の子女らしいおっとりとした女性だった。京都府高等女学校を卒業した後、東京に居を移していた浅子の実家の小石川三井家で時を過ごし、花嫁修業を続けている。当然、婿選びの意図もあったのだろう。

やがて没落していく

そして白羽の矢が立ったのが、元播州小野藩の大名だった一柳子爵家の次男・恵三である。恵三は亀子と同年の明治9年生まれ。東京帝国大学在学中だった26歳の時に縁談が整い、婿入りの運びとなった。ちなみにドラマでは、一柳恵三は、千代が恋心を抱く帝大生・東柳啓介(工藤阿須加)として登場する。

この恵三こそが、浅子の実質的な事業継承者だった。浅子は信五郎に先立たれた明治37(1904)年、一切の事業から手を引き実業界から引退する。29歳の恵三は、義父・信五郎の死を受けて加島銀行に入行、信五郎と浅子の事業をすべて引き継いだ。その後、広岡本家の久右衛門正秋(劇中の榮三郎)死後に加島銀行頭取に、そして大同生命第2代社長となり、以後長きにわたって「広岡財閥」トップに座る。

が、ここで疑問に思う読者もいることだろう。大同生命はさておき、ドラマの中で、業績順調だと言われている「加野銀行」や「加野炭鉱」のモデルは、現在はどうなったのだろう?

浅子が加島屋挽回のきっかけを作った潤野炭鉱(加野炭鉱のモデル)は、明治32(1899)年に国に買い上げられた。炭鉱業については、浅子は自分で始末をつけて事業から身を引いたのだ。だが、銀行業はそうはいかなかった。

和治氏が続ける。

「広岡家は三つの要因で没落しました。

一つは、明治維新の変革です。江戸時代の加島屋は幕府でさえ一目置くほどの財力を持っていました。浅子が三井家から加島屋分家の信五郎に嫁入りしているように、江戸時代は三井家と広岡家は肩を並べていた。もちろん、浅子の尽力で加島屋は潰れずに済んだのですが、数々の大名家に貸し付けていた莫大なお金が回収不能になり、身代は縮小してしまいます。

二つ目は、昭和恐慌です。浅子は二度目の危機の際は、すでにこの世の人ではありません。この時の始末をしたのは、浅子の婿・恵三でした」