「カップヌードル発売」衝撃3分間の魔法が日本人の食文化を変えた

嵐山光三郎×中川晋×南伸坊
週刊現代 プロフィール

南 極秘プロジェクトだったんですね。とにかく全然違ったもんなぁ。爆発的大ヒットですか?

中川 ところが、最初はそうでもなかったんです。メディア向けの発表会で試食した記者は、美味しいとは言ってくれるのですが、「100円もして売れますかね?」と首を捻る。袋麺が25円だった時代ですからね。問屋の反応も同じで、まったく注文が来ない。これは困ったということで急遽今までにない販売ルートを開拓することになった。早速、専任の部隊が組織されて、自衛隊や警察、野球場や駅の売店、企業の休憩所やラブホテルにまで売り込みに行っていましたよ。

「あさま山荘」でブレイク

南 あの頃って、値段よりも新しさ、カッコよさで売れるようなきざしがあった時代ですよね。カップヌードル「高い」って記憶ないなあ。あの頃は珍しいもんだったし。

中川 たしかに、カッコよさ、新しさは売りになると考えていましたね。まずは若者に売ろうと、銀座の歩行者天国で試食販売もしました。三越さんの前を借りて販売したのですが、法律の関係で街頭ではお湯が沸かせなかったんです。仕方なく三越さんにお願いして地下の食堂でお湯を沸かしましたが、エレベーターは貸してもらえず、私はやかんを抱えて地下3階から地上まで走って往復しました。駆け上がると、前のやかんが空になっているから、それを持ってまた下る。多い時は日に2万食も売れたので、階段で店員さんとすれ違うと、「またお湯ですか」とあきれられました。

南 そーかぁ、それでマクドナルドとダブルイメージになってたんだ。

中川 ええ、私が走っていると、行列が二つできていて片方はカップヌードル。向こうは何だと見るとマクドナルドさんだったのを覚えています。

嵐山 同じ'71年に日本発売になっているんだね。日米を代表する新しい食文化が同じ年に登場したというのは因縁だな。

中川 私は海外の営業も長いのですが、その土地でカップヌードルが売れるかどうかを判断する際、実はマクドナルドがあるかどうかで見るんです。私が中国に赴任していた時にも、訪問した地方都市の中心街にマクドナルドがあるのを見て販売を決め、成功しました。

南 食べ物って、慣れてるものがいいってのもあるけど、珍しいもの新しいものがほしいってのも世界中同じですね。

中川 歩行者天国でのキャンペーンと共にカップヌードルを全国区にしたのが、'72年のあさま山荘事件なんです。機動隊の隊員が極寒の中でカップヌードルを食べている様子がテレビに映り、あれは何だ、となった。