神戸・連続児童殺傷事件「報道再検証」
~「心の闇」から抜け出すことはできるのか?

牧野 智和 プロフィール

少年逮捕と「背景論」の破綻

一連の事件は3月の女児殺傷事件から始まっていますが、新聞報道が異様な加熱をみせたのは5月27日夕刊からでした。同日早朝、被害男児の切断頭部と犯行声明文が発見されたことが報じられ、ここから捜査の進展状況、犯行声明文の解釈、不審者・不審車などに関する報道がおびただしく積み重なっていくことになります。

「犯行声明文からすると学校に恨みを持ったものの犯罪だろう」「自己顕示欲の塊のような人間だろう」「声明文からして学歴は高いだろう」「30代から40代だろう」等々――。

犯行声明文には「さあ、ゲームの始まりです」という文言がありましたが、私たちの社会はまさにそれにつられ、約1ヵ月間、非常に大掛かりな推理ゲームを行っていたわけです。しかし、ほとんどの推理は外れました。

6月28日に加害少年が逮捕され、翌29日朝刊では各紙が一面で第一報を伝えました。一面だけでなく総合面の左右、社会面の左右、社説などもこの事件で埋められ、学校関係者・地元住民・警察関係者の驚きの声、識者からのコメントなどが掲載されました。

このなかで、6月29日の『読売新聞』総合面「憎悪潜む"心の闇" 教育現場に戦りつ」において、初めて「心の闇」という表現が用いられます。

記事ではまず、加害少年の中学3年生という「思春期」の問題、「学校社会のストレス」の問題を指摘する識者コメントに対し、「動機がそうした状況にあったとしても、子どもの首を切断するという猟奇性は異常だ」として識者による原因論が退けられています。

そして「社会からの疎外感を感じた十四歳の少年。疎外感を埋めるのは自分だけの世界、仮想現実で、やがて現実と空想の区別がつかなくなった」として、加害少年の内面世界(「心理的な闇」)をこそ解明すべきだとまとめられています。

おそらくこの記事を受けて、翌30日から『朝日新聞』は「14歳 心の闇」という小連載を開始します。30日朝刊では以下のように報じられ、読売新聞の記事と同様に猟奇的事件の謎のありかとして「心の闇」が置かれています。

「なぜ頭部を切断しなければならなかったのか――捜査本部の調べにも少年ははっきりした動機を話していない。『心の闇』は深い」

加害少年の逮捕から7月中旬頃まで、各紙はさまざまな解釈を積み重ねました。

その解釈は主に学校問題として事件を捉えようとするもので、「いじめがあったのではないか」「教育熱心な地域の『いい学校』で孤立したのではないか」「体罰を受けたのではないか」といった解釈が多く提出されました。犯行声明文の文言と、加害少年の学校でのエピソードがしばしば重ね合わされもしました。