「アラブの春」とは何だったのか?〜革命の希望はこうして「絶望」に変わった

あれから5年、メルトダウンする中東
末近 浩太 プロフィール

その後、2011年3月の湾岸協力会議(GCC)の「半島の盾」軍によるバハレーン派兵、2014年8月に開始された「有志連合」によるイラクとシリアのIS実効支配地域への空爆、2015年2月のエジプト軍によるリビア空爆、2015年3月のサウジアラビアなどによるイエメン空爆、そして、イランによるシリアとイエメンへの軍事的関与など、中東のあらゆる場所で外部介入が多発するようになった。

不当な暴力は必ず連鎖する。

外部介入を行った国々が暴力を用いたことで、独裁政権や反体制派までもがさらなる暴力に手を染めるようになった。外部介入のモラルハザードは、暴力をめぐるモラルの崩壊をも助長したのである。

再燃する暴力と不寛容

以上見てきたように、「非暴力の市民による民主化運動」としての「アラブの春」は、暴力によって押しつぶされ、市民の手を離れ、そして、その民主化の希望の輝きを失っていった。

これに輪をかけたのが、2013年7月のエジプトにおける「反革命」とその後の軍政復活であった。

「春」後の選挙に勝利した穏健なイスラーム主義者たちはテロリストの烙印を押され、当局から治安取り締まりや弾圧の対象となった。もとよりイスラーム主義者による政権誕生を歓迎していなかった欧米諸国と湾岸アラブ諸国は、こうした民主化に逆行する事態を黙認した。

希望に満ちていたはずの「アラブの春」は、振り返ってみれば、あまりにも短い春であったと言わざるを得ない。2011年初頭からのわずか数ヵ月で、非暴力の市民による民主化運動は行き詰まった。そして、中東諸国の国内政治の対立構図、国と国とを分かつ国境線や主権、そして、自由や寛容を支えるモラルが、次々に「メルトダウン」を始めた。

その後の中東に生まれたのは、暴力と不寛容に満ちた政治であった。民主主義への幻滅、市民のあいだの相互不信、欧米諸国に対する怨嗟の念。絶望が果てしなく広がっていくなかで、それを糧として急拡大する勢力が現れる。他ならぬ、「イスラーム国」である。

次回では、シリア「内戦」はなぜ始まり、なぜ終わらないのか、なぜ「イスラーム国」が生まれたのか。これらの問いを考えてみたい。

末近浩太(すえちか・こうた)
立命館大学国際関係学部教授/SOASロンドン中東研究所研究員。中東地域研究、国際政治学、比較政治学。1973年愛知県生まれ。横浜市立大学文理学部卒業、英国ダラム大学中東・イスラーム研究センター修士課程修了、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科5年一貫制博士課程修了。博士(地域研究)。英国オックスフォード大学セントアントニーズ・カレッジ研究員、京都大学地域研究統合情報センター客員准教授を歴任。著作に『現代シリアの国家変容とイスラーム』(ナカニシヤ出版、2005年)、『現代シリア・レバノンの政治構造』(岩波書店、2009年、青山弘之との共著)、『イスラーム主義と中東政治:レバノン・ヒズブッラーの抵抗と革命』(名古屋大学出版会、2013年)などがある。Twitter: @suechikakota、公式サイト: SUECHIKA'S OFFICE