「アラブの春」とは何だったのか?〜革命の希望はこうして「絶望」に変わった

あれから5年、メルトダウンする中東
末近 浩太 プロフィール

暴力による非暴力の管理

しかし、そうした自由と寛容の空気は長く続かなかった。中東各国で再び暴力が再燃したためである。

ただし、その暴力を行使したのはイスラーム主義の過激派ではない。実際には、各国の独裁政権と「アラブの春」への外部介入を推し進めた諸外国であった。

市民による大規模な抗議デモに直面したリビア、シリア、バハレーンの独裁政権は、激しい弾圧でこれに対応し、国内の治安は急激に悪化していった。

欧米諸国や湾岸アラブ諸国は、リビアとシリアでは反体制派への支援を打ち出す一方で、バハレーンでは独裁政権を政治と軍事の面から徹底的に支えた。その結果、リビアとシリアでは体制派と反体制派のあいだで内戦が勃発し、他方、バハレーンでは独裁政権による激しい弾圧によって抗議デモは鎮圧された。

「アラブの春」における欧米諸国や湾岸アラブ諸国の「二重基準」は、突き詰めればパワーポリティクスの産物と見ることができる。これらの諸国は、一般の市民の台頭という想定外の事態に際して、自国の利益の保護・拡大にとって有利な同盟者への支援を行った(それぞれの国益に忠実という意味では、各国は「単一基準」にしたがって「春」に外部介入を行ったともいえる)。

このような外部介入の結果、「アラブの春」において、ある国では民主化が促進され、別の国では反対に独裁政治が強化されるという事態となった。

だが、より大きな問題は、どちらもが非暴力ではなく暴力によって推し進められたことであった。こうして、中東に再び暴力の嵐が吹き荒れ始めた。

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外部介入のモラルハザード

国益を振りかざす独善的な外部介入は、そもそも内政干渉に他ならず、今日の世界ではタブー視されていたはずであった。

だが、それも、特定の人間集団の「保護」や「テロとの戦い」の名目で、なし崩し的に正当化されていった。つまり、「アラブの春」では、外部介入のモラルハザードが広がったのである。

皮肉なことに、その先例となったのが、2011年3月の国連安保理決議に基づく米英仏主導のリビア介入であった。

一般市民に対する「保護する責任(R2P)」を掲げたリビアへの軍事作戦は、実際には独裁政権を率いていたカッザーフィー(カダフィ)大佐が殺害されるまで続けられた。そのため、実際には政権転覆をにらんだ恣意的な外部介入であったとの疑念が中東の内外から寄せられることとなった。