「アラブの春」とは何だったのか?〜革命の希望はこうして「絶望」に変わった

あれから5年、メルトダウンする中東
末近 浩太 プロフィール
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イスラーム主義の盛衰

独裁政権が最も警戒していたのは、イスラーム主義者であった。イスラーム主義とは、イスラームに依拠した社会改革や国家建設を目指すイデオロギーのことである(かつては、イスラーム原理主義とも呼ばれていた)。中東諸国において、独裁政権に対する反体制派を主導していたのがイスラーム主義者たちであった。

このようなかたちの体制/反体制の対立構図が生まれた背景には、第2次世界大戦後に独立を果たした多くの中東諸国が多かれ少なかれ西洋的近代化、とりわけ政治と宗教の分離を是とする世俗国家の建設を目指してきたこと、そして、それが1960年代末には、独裁、低開発、他国との戦争、内戦といったかたちで行き詰まりを見せたことがあった。

つまり、イスラーム主義者たちは、独裁政治によって混迷する社会や国家を造り直すための「代替案」を提示しようとしたのである。イスラームに全幅の信頼を置きながらも、西洋的近代化の方法や成果を取り入れ、過去よりも未来、破壊よりも建設を目指した。だからこそ、多くの人びとの支持を得ることができたのである。

このイスラーム主義者たちの挑戦が実を結んだのが、1979年に起こったイラン革命であった。イスラーム法学者ホメイニーを指導者とする革命勢力は、親米の独裁王政を打倒し、イスラームの教えに基づく新たな国家の建設に成功した。

イラン革命は、政治と宗教を再び結びつけようとする前近代的な復古主義の試みと捉えられてきたが、革命後に樹立された「イスラーム共和制」は、実に先進的なものであった。それは、文字通り、イスラーム法による統治と18世紀の米国やフランスに生まれた共和制を融合する試みであった。

具体的には、高位のイスラーム法学者が最高指導者として君臨しながらも、三権分立や選挙による政権交代が実施されている。これを共和制本来の姿の歪曲と見るのか、それとも、イスラーム文明と西洋文明との接近と捉えるのかによって、イランへの評価は180度変わってくる。

しかしながら、イラン革命の成功は、中東の独裁政権にイスラーム主義者へのさらなる警戒心を抱かせる結果をもたらした。

イスラーム主義者と目された市民に対する厳しい取り締まりや弾圧が実施され、その結果、独裁政治がより強化されただけでなく、「もはや武装闘争やテロしかない」と考える過激派が増えていった。

独裁政権と過激派とのあいだで繰り広げられた暴力の連鎖、とりわけ、2001年の9.11事件以降の「テロとの戦い(対テロ戦争)」とアル=カーイダなどによる「イスラームの戦い(聖戦・ジハード)」の衝突は、中東諸国の政治と社会を荒廃させるだけでなく、市民をイスラーム主義や革命から遠ざけることとなった。

一般市民の支持を持たないイスラーム主義の過激派に、もはや独裁政権を倒す力はなかった。