『あさが来た』広岡浅子、本当にこんなスゴい実業家だったの?

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終盤の見所は女子大設立

浅子がそこまで共感した成瀬の理念とは何だったのか。同大学OGで子どもの問題などを専門とするジャーナリスト・猪熊弘子氏(東京都市大学客員准教授)が語る。

「在学中、創立者の成瀬先生の三綱領はことあるごとに言われました。『信念徹底』『自発創生』『共同奉仕』で、わかりやすく言うと〝これと決めた道はあきらめずに突き進む〟〝オリジナリティを大切にしていく〟〝自分のことだけでなく社会のために尽くす〟です。

これは、まさにドラマの中であさがやっていることですよね。これらを4年間で叩き込まれるので、日本女子大の卒業生は、自分の意見を前面に押し出す、あさ的な人が多い。女性社長の輩出数も女子大でトップ(全大学中5位)です。実は私も、先日朝ドラを見ていたら、小学生の息子に『あさっていう人、ママを見ているみたい』と言われてしまいました」

成瀬仁蔵は、教育者として「女性をまず人として教育する」という理念を持っていた。明治時代、女性は一人の人間としてより前に女性として教育すべしという風潮だったから、男女を超越した一個人としての女性教育を掲げた成瀬の著作に、広岡浅子が感動したのも無理はないのだろう。浅子は5000円(現在の2000万円弱)をポンと出し、広岡家だけでなく実家の三井家をも動かして女子大設立に奔走した。

「広岡浅子という名前は記憶していませんでしたが、ドラマが始まってすぐ、夏期の特別授業が行われる『三泉寮』を思い出しました。軽井沢にある大学の寮で、全学生がここでの授業を取らないと卒業できません。『ここは三井様のお力で建てられたのですよ』と先生に繰り返し教わっていたので、ドラマを見ながら、私たちも浅子の恩恵を受けていたんだなぁと懐かしく思い出しました」(前出・猪熊氏)

一人娘・亀子に子爵家から婿養子を取って後を継がせた浅子。だが、その後の昭和恐慌で、加島銀行は倒産、広岡家は実業の世界から退場していく。ドラマが話題になるまで広岡浅子の名は歴史に埋もれていたが、今も日本女子大では浅子の遺志を継いだ女子大生たちが、人生を謳歌しているのだ。

「週刊現代」2016年2月20日号より