「聖地」と「世界遺産」が好きすぎるニッポン人
~物語化する観光がはらむ“アブない一面”

岡本 亮輔 プロフィール

解説がないと面白くない

ガイド料金一覧。1日9回おこなわれている。

御嶽は各自が自由に見て回っても良いが、追加で300円支払うと、スタッフによるガイドツアーに参加することができる。筆者が見た限りでは、三分の一くらいの観光客がツアーに参加していた。

ビデオが終わるたびにスタッフがツアー参加を勧誘するのだが、筆者の部屋の担当者は「個人で行かれますと大きな岩とか大木しかないんですけれども、ガイドツアーをご利用頂きますとガイドから詳しい説明を受けることができます」と言ったのである。

ちなみに、南城市の観光ポータルサイトにも、「斎場御嶽は岩と緑ばかりが目につき、ご自分たちだけで歩かれてもほとんど何もわからないといわれます」と書かれていて、斎場御嶽ではガイドツアーを利用することが勧められている。

世界遺産登録された聖地ではあるが、要するに、単なる岩と木しかない。この言葉は、現代の観光の本質をえぐり出すような力を持っている。

観光は、何か他にはないものを見たり体験したりするために、わざわざ休みを取り、時間をかけて移動する行為だ。目的地には、何か見るに値するものがなくてはならない。しかし、冷静に考えてみると、多くの観光地には、解説がないと面白くないものが意外と存在する。

斎場御嶽は、確かに岩と木があるだけだ。なんの知識がなくともその霊性を感じられるスピリチュアルな訪問者もいるが、筆者のような世俗的な人間は無理だ。

筆者が暮らす北海道で言えば、札幌時計台ががっかりポイントとされるのも、いざ現地に着いてみると時計のついた白い建物がビル群と雪に埋もれているだけだからだろう。

斎場御嶽内の拝所の前に立つ観光客

伊勢神宮なども、とりわけ神道文化になじみのない外国人観光者から不満の声があがることがある。大阪や名古屋から2時間かけて行ったわりに、着いてみると最も神聖な場所である正宮は壁で覆われていて、あまり見えない。さらに式年遷宮があるため、20年に一度、建て替えられている。なぜ、築浅の倉庫風の建物の一部を眺めるために長い道のりを移動しなければならかったのか、というわけだ。

観光客は観光地で何を見ているのか。もちろん、何か価値があるとされる物を見に行くのだが、重要なのは、それに付与された物語ではないのだろうか。

スペインのサグラダファミリアや芸術作品のように、物自体が途方もない価値を持つケースもある。だが、たとえばパリのルーブル美術館の膨大な所蔵品は、いずれもかけがえのない価値を持っているはずだが、観光客で混み合うのは「モナ・リザ」や「ミロのヴィーナス」など一部の作品だ。

有名作品は、やはり面白い物語をまとっている。作者の天才性や作品自体の数奇な由来などが流布されている。観光客は、作品にまつわる物語を事前に知っているからこそ、それを見に行きたくなる。何も知らない子供にとっては、モナ・リザはわりと小さな女性の肖像画であるし、ミロのヴィーナスは腕の欠けた壊れた彫刻ということになってしまう。