―終盤では、保険適用されていない再生医療の一種、幹細胞療法も試したことが書かれていますが、その先は描かれていません。現在、体調が安定されているのはその治療効果のお陰ですか。
結論から言えば、期待したような効果は上がりませんでした。本来、自分の皮下脂肪から抽出した幹細胞を培養してまた体に戻すというやり方なのですが、私の場合は幹細胞自体が弱っていたので、他人の幹細胞を使ってやったのです。
そのせいもあるのかもしれませんが、私の場合、どうやら功は奏さなかったようです。いま体調をなんとか維持しているのは、「大丈夫だ」と自分で自分に暗示をかけているからです。あとは何もしていません。
胃にがんが二つあったんですが、その一つは毒蛇のような形をしていたので、「これをやっつけるにはゴジラだ」とひらめいた。頭の中で、ゴジラに放射熱線を浴びせられた毒蛇が溶けていくシーンを何度も何度も想像していたんです。で、1ヵ月後に検査をしたら、がんが消えていた。
嘘みたいな話ですが、本当なんです。医者が、腫瘍マーカーの値を見て「おかしい、おかしい」と言うほど。内視鏡検査をしきりに勧められていますが、病気で血液中の血小板が少なくなっているので、もしも検査の時に出血したら大事になる。だから内視鏡検査も断っています。
―ラストは、主人公が家族宛てに「リビングウィル(生前の意思)」を書く場面で終わっています。「痛み止めを打ってもまだオレに意識があるようだったら、そっと一本燗酒をつけてくれ」という一文が胸に迫りました。
どこかは言えませんが、僕は自分の死に場所をすでに決めているんです。そこで大好きな日本酒を飲んで逝くのが理想の死に方なんです。
そのときのために、とっておきの徳利からぐい飲みまで全部用意してあります。友人の陶芸家にいろいろ作ってもらったけどなかなかしっくりこない。尾道の古道具屋でたまたま見つけた江戸時代のぐい飲みがとても良かった。5000円くらいのものですが、これで最後に燗酒を飲んで死のうと決めているんです。
―お酒への愛が深いのですね。
酒は僕の親友だったんですが、病気で飲めなくなってその親友を失ってしまった。
そうなると時間を持て余しちゃってしょうがない。だったら仕事をしようか、と思い至ったんです。僕はそれまで長い間小説を書いていなかったから、世の中からは忘れ去られたような作家でした。
その僕が入院してからは3冊も出しましたからね。「ありがとう肝硬変」というのはちょっと言い過ぎかもしれませんが、病気のお陰で執筆のエネルギーが増大したのは間違いありません。
この作品は確かに闘病記なのですが、病気の人ではなく、むしろ健康も仕事も人生のピークにあると自覚しているような人に読んでもらいたい。人は誰しも絶頂期には傲岸になりやすい。そういうときには気づきにくい、人間を重層的に見る視点を今作では描いたつもりです。読めばきっと、他人への接し方が柔らかくなると思います。
(取材・文/阿部崇)
『週刊現代』2016年2月20日号より