少年犯罪は「凶悪化」も「増加」もしてない!?
マスメディアが決して報じないこと

牧野 智和 プロフィール

検挙者数が減り、記事数は増える

さて、いずれにしても、1990年代から2000年代にかけて、多くの事件が「心の闇」という観点から報じられました。ただ報じられたというだけでなく、かつてよりも非常に集中的に報じられました。

下の図は、少年による殺人事件の検挙者数と、『朝日新聞』で少年による殺人事件が報じられた記事数をまとめているものですが、1997年から10年ほどの間、かなり増えたことが分かります。それも、戦後から1960年代までに比べて検挙者数は3分の1以下に減少しているにもかかわらず、記事数はむしろ増えているのです。

図 「殺人による少年の検挙者数」と「少年による殺人事件の記事数」

大人には理解できない、不可解な内面を抱えた少年少女たちによるとされる事件が、かつてないほど集中的に、微に入り細にわたって報じられたこと。「解決策」として、少年少女の「心のサイン」を読み取ることが事件再発の鍵になると報道では語られるのですが、一見普通にみえる少年少女たちに、何らかの異常性の兆候を読み取るという営みは、言うは易く行うは難しというものでしょう。

実際、重大な事件が起こるとしばしば、子どもにどう接していいか分からないとする親や教師たちの不安をとりあげる記事も並置されていました。いってみれば、社会や家庭、学校ではどうにもならない「心の闇」という問題が集中的に語られるなかで、少年非行をめぐる状況が(凶)悪化しているという認識が拭い難いものとして私たちの社会に広まっていったのではないでしょうか。

かなり急ぎ足で話を進めてきたのですが、もう少ししっかり考えていかねばならない問題がいくつかあります。

まず、少年非行の(凶)悪化という認識は、今回みてきたような事件の動機・背景に関する報道だけでなく、近年の被害者(遺族)への注目の高まりに伴って、周囲の悪環境/同情の余地がある加害少年ではなく、被害者(遺族)/同情の余地なき加害少年という新たな二項対立が形成されてきたことにも由来している可能性があります。

また、2010年代の報道量が少ないにもかかわらず、未だに少年非行への厳しい認識が保たれていることは、今回の記事でとったストーリー(仮説)に修正すべき余地があるということを示しています(これについては、殺人事件以外の傾向を、また新聞に限らずテレビやインターネットなど、全体的な犯罪語りの傾向をみていく必要があると思っています)。

そして、そもそも「心の闇」という問題が浮かび上がってきた1997年の神戸事件報道をしっかりと検討することで、私たちの少年非行をめぐる認識の根本的な構造を理解するとともに、先に述べたギャップをより実態に即した理解へと変えていけるような別様の理解可能性を探索することも必要だと考えます。

次回はこの最後の点、つまり神戸事件の報道の分析に取り組んでみたいと思います。

牧野智和(まきの・ともかず)
大妻女子大学専任講師。1980年東京都生まれ。2009年早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学 博士(教育学)。著書『自己啓発の時代――「自己」の文化社会学的探究』(勁草書房)、『日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ』(同)。