少年犯罪は「凶悪化」も「増加」もしてない!?
マスメディアが決して報じないこと

牧野 智和 プロフィール

「社会」に原因を求めた時代

ここからは、戦後の『朝日新聞』で報じられた少年による殺人事件の記事(1945年から2014年まで)、735事件に関する2497件の記事を素材に、総体的な傾向を圧縮して整理していきます。

殺人事件に関する記事を扱うのは、これもごく単純に注目度の高い事件報道、つまり私たちが接する可能性の高い事件報道を扱うことが、私たちの治安や犯罪についての認識のあり方を調べるためには王道だという考えからです。

では具体的な報道のあり方をみていきましょう。戦後から1960年代頃までの少年事件では、ほぼ加害少年の置かれた「社会環境」の問題が事件の背後にあると語られていました。

事件のいくつかを例にとると、1953年の大井・映画館での女性殺害事件では「貧苦にあえぐ家庭環境」が、1958年の小松川・女子高校生殺害事件は「勤労少年の働く職場の非人間的な環境」が、1967年の柏・連続女性殺害事件では「混血児の置かれた生活苦と差別的環境」が、1966年の巣鴨・ホステス殺害事件や1969年の幼児誘拐殺害事件では「少年少女を堕落させる大都会の環境」がそれぞれ事件の背後にあると語られ、少年少女をして事件発生へと至らせたのだとされていました。

当時の典型的な語り口は次のようなものです。

「なぜ勤労少年は凶悪化するか――同課では、職場にこそ第一の責任があるとしている。中学を出て初めて実社会に出た少年に対し、多くの工場では『少年だから』という思いやりもいたわりもなく『働かせればいい』と馬車馬のように働かせるだけ。少年工の人間的な悩みなどにはハナもひっかけず、単に労働力の単位、としてしか扱わない。それに加えて大人の従業員たちの少年の前もはばからぬ言動、これで不良化しなかったらよっぽど、という悪条件のルツボだ」(『朝日新聞』1958年9月2日「少年工の犯罪ふえる 悪い職場の環境」)

こうした報道が積み重ねられた背景には、戦後から高度経済成長までの日本において、もちろん何もかもがすべて改善されたわけではないですが、経済が発展し、生活環境が総体的に改善に向かうなかで、「社会環境」を良くさえすれば、少年非行という問題もまた改善されていくはずだという当時の認識があったのだと考えられます。

次に問題視された「家庭」と「学校」

高度経済成長期を駆け抜けた1970年頃から、今述べたような「社会環境」こそが問題だとする報道はほぼみられなくなります。代わりに姿を現すのは「家庭」や「学校」での問題が少年事件の背後にあるとする報道です。たとえば家庭なら放任や過保護、学校なら受験戦争のストレスが事件の根底にあると語られていました。

具体的な事件を挙げていえば、1969年に進学校の高校1年生が起こした同級生殺害事件は学校での「劣等感」が、1971年の箱根・中学同級生殺害事件は「人間関係の悩み」が、1972年の中野・小学5年生による幼児殺害事件では「家庭の放任的環境」が、1979年の世田谷・高校生による祖母殺害事件では逆に「家庭での過保護」がそれぞれ背後要因として語られていました。

これらの組み合わさったパターンとして、1988年の目黒・両親殺害事件では仕事に追われ子どもに関われない父親、病弱で子どもに関われない母親、厳格な祖父、子どもを溺愛する祖母、親の有名私立校進学への期待という「複雑な家庭関係」が事件の背景にあると報じられています。

「10日までの調べで、家庭内の複雑な家庭関係が、事件の背景にあることが浮かび上がってきた。病弱な母親は子育てを祖母にまかせ、祖母は少年を溺愛した。子煩悩だった父親も仕事に追われ、『重し』役の祖父は、犯行当日、旅行で家にいなかった。少年は学校などでの表向きの明るさの一方、黙々と壁を相手にキャッチボールをすることもあった。『「明」と「暗」が心の中に同居している』。捜査員の印象だ」(『朝日新聞』1988年7月10日「肉親殺し少年『明』と『暗』心の屈折 複雑な家族関係の影」)