塗り替えられる戦国軍事史〜真田一族の「恐るべき謀略」から軍隊は生まれた!?

雑多な「軍勢」から兵種別の「軍隊」へ
乃至 政彦 プロフィール

兵種別編成の起源

西股氏は兵種別編成の起源を不明としておられるが、史料を悉皆的に見渡してみると、16世紀半ば頃、武田信玄と村上義清と上杉謙信の抗争から生まれたようである。

詳しくは拙著『戦国の陣形』(講談社現代新書)に書いたが、兵種別編成を最初に開始したのはその一人村上義清である、と私は見ている。

信濃の一領主に過ぎない義清が、ある日突然兵を完全なる武装ごとに分け、武田信玄相手に戦ったことが『甲陽軍鑑』に見える。毀誉褒貶激しい史料だが、その史料価値は大きく見直されており、この記録は注目に値する。

事実とすれば、一領主の義清が有力な戦国大名に先駆けて兵種別編成した謎が浮かび上がる。実はその背景も『甲陽軍鑑』をよく読めば、あっさりと書いてあるのだ。

キーマンは大河ドラマ『真田丸』主人公・真田信繁(幸村)の祖父、真田幸綱(幸隆)である。

真田一族の陰謀

幸綱は義清との対立から信玄に従属した。そこで手土産でもないだろうが、義清の戦力低下を企んだ幸綱は、恐るべき謀略を仕掛けた。真田家と緊密な人物に義清への内通を装わせ、義清の旗本(直属の精鋭)500人を自分の城へと誘い入れたのだ。

真田の手の者がこれを閉じ込め、一人残らず討ち取ったという。対する真田方は死傷者ゼロというのだから凄まじい。

この事件で義清は基礎戦力を失い、ほとんど無力化させられた。手元に残されたのは、旗本の愛用した武具と良馬ばかりであった。

義清は無念を晴らすべく、これらを形見分けのごとく周囲に手渡し、彼らをもって旗本を新生させる。義清は新たな旗本でもって武田軍に再戦を挑んだ。

その時の作戦は、味方する領主たちが武田の諸隊を引きつけ、その間に義清自身旗本を率い、信玄旗本へと勝負を仕掛けるものだった。

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